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我が事のように嬉しかった、よそのお兄ちゃんの話。

いつもぴぃを迎えにきてくれるお友達Eちゃん。

そのママは唯一のママ友と言っていいほどの関係。

親子共々、私たちを優しくサポートしてくれている親子。

ママとは週に一回の夜散歩で5000歩近く歩きながら、子供のことや仕事のことをたくさん喋り倒す。

どうしてそこまでの仲になったのか・・・


もともと、ぴぃとEちゃんとは小学校に入ってから知り合った。

1年生だけ同じクラスだったけど、3年生まで同じ学童。

学童にはぴぃと同じ保育園だった子は1人もいなかったから、どこに所属してもぴぃにとってはアウェイだった。

そんな中、Eちゃんとはケンカもするけどなんだかんだと一緒にいることが多かった。

3年生の夏、女の子グループの中にいた1人の子が発端で揉め事が起きてしまう。

多くの子が問題を起こした子の側についてしまうが、自分の気持ちに嘘のつけないEちゃんは仲間はずれになってしまった。

その時、ぴぃだけがEちゃんに寄り添った。

揉め事が起きた日の夜、連絡網をたよりにEちゃんのママから初めてメールが来た。

「ぴぃちゃんだけが味方になってくれたことをEちゃんがとても喜んでいる。本当にありがとう。どうやって育てたらそんな優しい子になるの?」

最初はなんのことか分からず、ぴぃに聞いてみる。

ぴぃ「ぴぃはEちゃんと遊びたいからEちゃんといただけだよ。」

本当にそれだけだったのかもしれない。

でも、Eちゃんにはぴぃのその行動が救いになった。

当時はEちゃんのママも働いていたから、学童のお迎えの時に挨拶を交わすぐらいの関係だった。


ぴぃとEちゃんは、4年生になったら一緒にバスケ部に入ろうと決めていた。

でもぴぃは、仮入部期間をギリギリの状態で過ごし、入部してすぐに力尽きた。

その仮入部中に、体育館にお迎えに来たEちゃんのママと初めてちゃんと話す機会があった。

実はぴぃは今、命辛々学校に行っている状態で、強迫の症状が重く、親子の信頼関係もボロボロな状態だと話した。

すると、なんとか気持ちを保ちながら話す私より先に、ママが涙を流していた。

Eちゃんのお兄ちゃんが、小学校高学年で起立性の症状が出始め、学校を休みがちになってしまった時期があったという。

その頃、朝起きれないお兄ちゃんとママとの親子関係はボロボロで、誰にも分かってもらえない孤独な時期があった。

私の話を聞きながら、お兄ちゃんとのことを思い出し、共感しかないと寄り添ってくれた。

その数日後、改めて2人でご飯を食べに行き、近所のファミレスで6時間以上話し続けた。

そして、泣き続けた。

お兄ちゃんは6年生の夏になんとか自力で乗り越え、学校に通えるようにもなった。

「行ってきます」「行ってらっしゃい」のやりとりは尊いものだと今でも言っている。

ただ、いつかまた行けなくなってしまうのではないかと、ドキドキする朝はしばらく続いたという。

お兄ちゃんはなかなかお友達と群れたりはしない。

夏祭りやバザーなど、同じ年頃の男の子たちが群れて楽しそうな姿を見るたびに、ママは胸が締め付けられたという。

お兄ちゃんにはお兄ちゃんのペースと好き嫌いがちゃんとあって、そんなお兄ちゃんでも部活は続けたし、学校を休んだ日でも塾だけは行っていた。

ママはそんなお兄ちゃんに「大丈夫?」と思うことはあっても、口出しするより見守るしかない状態だった。

ストレスの吐口なのか、指の爪をなくなるまで噛んでしまう癖が高学年の時から今もずっと止まらないお兄ちゃんを、ずっとずっと心配していた。


そんなお兄ちゃんが、今日、高校受験に合格した。

学校からも、塾の先生からも、親でさえも、無理だと思っていた高校に。

もう少し頑張らないと、もう少し成績を上げないと難しい、何度も言われたのに、お兄ちゃんは志望校を変えなかった。

「こんなことってあるんだね、涙が止まらない。」

ママからの連絡を受け、私も自分のことのように涙した。

お兄ちゃんはずっと、誰に何を言われようと、自分を貫いた。

お兄ちゃんだけが前を向いていた。

お兄ちゃんとママとの経験があったからこそ、救われてきたことがたくさんある。

あまりにも嬉しすぎる報告は希望しか感じなかった。

そして、Eちゃんにはぴぃが残した小さな恩をもう十分というほど返してもらっている。

これからもずっと大事にしたい縁だなと、改めて思った。

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