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パン職人になろうと思ったワケ②

僕は作り手になってみたい。という気持ちを社会人生活で強く抱いたことで脱サラをしました。

オーストラリア、ゴールドコーストを選んだ理由

は以下の通りです。

・大学の卒業旅行で訪れた街だったから。
・ミートパイがあったから。
・夏好きの自分にとって常夏の気候が合っていると思ったから。
・サーフィンをしてみたかったから。
・28歳という年齢で学生VISAでも労働VISAでもなく、ワーキングホリデーというVISAであれば簡単な手続きで入国ができたから。
・日本で脱サラしてまで職人なりたいと思う自分への人からの目線が気になったから。

です。

その上で、作り手になってみたいという、ざっくりとした職人枠から、パン職人を選択できる、

・ミートパイがあったから

がありました。

28歳の時点で出来た自分として論理的に考えた結果、オーストラリアでパン職人になりたい。に至ったんです。
いろんな欲と世間体を考慮した結果でもありますが。。。

その他もろもろ、自分の中でパンを選んだ理由はありますが、いずれにしてもパン職人を目指した理由は、ミートパイが動機です。

それに、18歳前後から専門学校や家業の定めとして、パン職人を目指してる方達と28歳からスタートを切る自分が同じように戦っては到底勝ち目もないし、生き残れない。という気持ちもあったので、ミートパイは日本で差別化と競争相手が少なく商いしていけると思っていました。

卒業旅行(だけの短い時間。。。)で見てきた僕のオーストラリアの記憶が、ミートパイやお肉やドーナツとかビールとかスプライトとかたくさん食べて飲んで運動しているから、オーストラリアの人たちはみんな元気で逞しくて健康的なんだと思いました。

だから、自分がミートパイを作れるようになれば、日本の皆さんに新しい味で幸せを生み出せると思っていました。そして、食べた後は運動する!ってところまで訴求してオーストラリア人のような屈強で健康的な体格にもなれるパワー系フード。として日本で流行させられると安易な妄想マーケティングが完成して心を躍らせていました。

なので、もう一度、

自分の思考回路を改めて整理すると、

・ミートパイという異国文化満載のパンに出会えた。
・日本でミートパイは当時まだほとんど知られていなかった。
・28歳からミートパイを学べれば、まだ作り手して生きていける可能性を感じた。
・日本でキャリアを積まれている職人さんや10歳も下回る年下の方と一緒の職場もしくは専門学校で時間を過ごすのは、自分には苦痛と感じた。
・周りと同じようなパンを学んでいては、28歳からでは商売をするのは厳しいと感じた。
・熱意と自分の営業スキルがあればパンの仕事はすぐ見つかる(という過信。。。)。
・大手メーカーで6年鍛錬されたから何かしら通用するものはある(という過信。。。)。


そして何より、

周りの目を気にせず、やりたいと思ったことをやりたい。

という思いがあったから、
オーストラリアでパン職人になりたいと思ったのです。

僕は人の言葉や態度を察しやすく、影響を受けて行動しがちな性格でもあると自負していて、その弱みに感じる性格をとっぱらいたいと思って、海外を選んだのも理由にあります。

まさか、自分がオーストラリアへ行って、真逆のような天然酵母のサワードウブレッドを焼き、魅力にどっぷりハマって帰国するなんて思ってもいなかったです。より健康的な姿や姿勢を学んで日本へ帰国するとは夢にも思ってなかったです。
綺麗好きでいろんなことを一度に考えるのが苦手な自分の性格には、酵母の状態、発酵のタイミングをじっくり見定めて、数種類のサワードウブレッドだけを焼き続ける体制があっていると後に気づきました。
性格上、綺麗好きながらも大雑把で散らしてしまうし、後片付けが苦手ということもありますが、、、、。


トップ画像は、自分が働いたパン屋さんのTシャツと、ミートファクトリーのTシャツです。パン職人になって日本に帰国できた自分を大切な思い出として残しています。

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