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その花束の宛先は。/『心にもないこと』MV考察/5期生MVとの関連性 



MV公開から1ヵ月
【心にもないことMV】を完全考察したので 
読んでいただけると嬉しいです。




前回書いた櫻坂46桜月MV考察が
バズりにバズったのですが


結果的に
「「「深読みしすぎ」」」だったので



今回の『心にもないこと』MV考察は
深読みし過ぎず書いていきたいと思います。

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記事の前半は「過去5期MVとの関連性」

後半は本題の「心にもないこと」MVの考察

になります



▶︎『心にもないこと』と5期MVの関連性


『心にもないこと』MVを考察しなくては!!!
と思ったきっかけは

他の5期MVと比べて「意図的」に感じる演出が多かったのと、なにより『バンドエイド剥がすような別れ方』MVのガラスステージが
今回のMVの"舞台"になり変わっていたからでした


さすがにこれを"偶然"でスルーすることはできないので制作側が「なんらかの意図」を持っているはずです。


まずはその「意図」から考察していきます。


私が考える「意図」は
「過去の5期生MVとの関連性、繋がり、時系列」
だと思います。


なので『心にもないことMV』には
「バンドエイドのガラスステージ」だけでなく
『絶望の一秒前』と『17分間』のMV演出も
意図的に入れていると思ってます。


『絶望の一秒前』MV

1番サビ終わりの描写

『心にもないこと』MV

2番サビの描写

画像だと分かりにくいですが
ライティングが「青とピンク」になっているのが共通点であり『絶望の一秒前』MVの要素。
青とピンクを混ぜると薄紫色になるらしいです。

タイトル画面だと色が分かりやすい


『17分間』MV

カメラで撮った写真の描写
カメラのファインダー越しに撮っているような描写


『心にもないこと』MV

カメラで集合写真を撮った描写
カメラのファインダー越しに映しているような描写




これらの関連性から


・今までの5期生MVには一貫しているテーマが設定されていて、全員監督は違うが、クライアントから与えられた1つのテーマに沿って制作されていると考察。

・今までそのテーマがなんとなくそうなのではないか、でしかなかったが今作の『心にもないことMV』であからさまに「バンドエイドのガラスステージ」を「舞台」にすることで明確に過去MVとの関連性を提示しているように思える。


その一貫したテーマというのが

【自分と乃木坂】

なのではないかと
以前から考えていました。

これについて詳しく書くと長くなってしまうので
↓のツイートをざっくり読んでください。


このツイートでざっくり書いているように
5期MVの一貫したテーマは【自分と乃木坂】で
そこに時系列は存在していると思います。

時系列はMV公開の順番通り
「絶望の一秒前」→「バンドエイド剥がすような別れ方」→「17分間」ですが


「17分間」の時点で
【この物語の彼女達】は
【乃木坂】にはなっていません。
MVの軸である「叶えたい夢って何ですか?」の問いに直面し、自分の夢に迷っている段階です。


そんな彼女達の答えが今作の『人は二度夢を見る』に収録される『心にもないことMV』で映し出されています。


彼女達は夢に迷いながらも選択する事で
憧れの乃木坂になることができました。


今回のMVから制服を着ていないのも
一般人から乃木坂になった
という意味かもしれません。

乃木坂のメンバーになった事を
表しているのがMVの舞台になっている
憧れの「バンドエイドのガラスステージ」です


ここで1つ補足が必要になります↓

「ガラスステージにはバンドエイドMV時点で彼女達が立っていたのではないか」→MVでガラスステージに立っているのは【乃木坂になった彼女達】ではなく【スマホの画面の向こう側にいる理想の乃木坂】であって彼女達ではないと考えてます。



『心にもないこと』MVで彼女達は乃木坂になる事ができて、ガラスのステージの上でパフォーマンスをしています。

憧れのステージでパフォーマンスする彼女達


しかし、そのステージはステージであると同時に乃木坂という居場所(ホーム=家)であり、彼女達にとって生きる場所そのものになっていた。

ステージの上で踊り、ステージの上で生活する


この舞台セットのように
壁も屋根も無く
あけすけな家で暮らす彼女達。

まさに乃木坂に加入して怒涛の1年を過ごし
個人ブログ、トークアプリが始まり、
家にいる時間さえも乃木坂として生きている
表と裏の境界線が曖昧になってきた
四六時中乃木坂に染まる今の5期生を表しているのではないかと考察しました。

ここまでが『心にもないこと』MVの概要と
過去MVとの関連性になります。

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ここからは『心にもないこと』MVの描写や設定からMVの内容を考察していきます。


▶︎MV描写から考察する「見えるんだけど見えないもの」


皆さんがMVを見て気になったポイントはどこだったでしょうか。

私が気になったのは

・冒頭の瑛紗が目を覚ます描写の違和感
・なぜ全員がパントマイムで表現をしてるのか
・小川彩のピアノの次はなんのパントマイムか
・バンドエイドのガラスステージを使った意味
・窓の外の何かを難しそうな顔で覗くシーン
・舞台の周りが体育館?っぽい見た目
・舞台の外が宇宙になっている理由
・菅原咲月のカメラについて
・モノクロになる描写の意味
・画面にフレームがつく描写の意味
・最後に一瞬映る池田瑛紗の表情の意味
・最後に出てくる集合写真と花瓶の写真には花が映っている意味

この辺りでした。

この中の2つは
メンバーから発信があり解決しました。


・冒頭の瑛紗が目を覚ます描写の違和感
→意識して見てもらえればすぐに分かりますが目の覚まし方がパチッ!!と両目が一気に開いてます。
これは人間の目の覚まし方としては不自然です。

池田瑛紗ブログにて
今回池田はアンドロイドだ!!!と言われ、アンドロイドになったつもりで撮影に臨んでみました


これが違和感の正体でした。
池田瑛紗はアンドロイド役という設定なので
目の覚まし方が人間っぽくなかった。
重要な要素です。

・小川彩のピアノの次はなんのパントマイムか
→MV考察において重要なポイントだと思うけど何度見ても分からない!というファンの思いを汲み取ってか、単純にあーや溺愛トークの賜物だったかは分かりませんがMVが公開されて5日後の
3月22日猫舌SHOWROOM(五百城×一ノ瀬)にて
一ノ瀬が小川のパントマイムについて説明してくれました!

要約すると

「小川はピアノを引いたあとリモコンでテレビを付けて悪いニュースを目にしてしまうが、それを見ないように一ノ瀬がリモコンを取り上げてテレビを消す」

この"悪い"ニュースというのもポイントだと思ってます。

MVの裏コンセプト
4月1日放送の開運音楽堂にて
MVの裏コンセプトが「地球滅亡する日に5期生がそれを阻止する」というもののようです。


以上3つを公式情報として踏まえた上で
MVの内容を考察します。

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MVのテーマ、内容は大きく分けて3つ


・池田瑛紗(アンドロイド)心が無い/心にもない
・見えるもの/見えないもの
・ステージの上で生きるという事



少し複雑ですがこんな感じだと考察しました

どういう流れで書いていけば分かりやすいか悩みましたが、MVの順番通りに書いてみます!


▶︎池田瑛紗(アンドロイド)には心が無い


目を覚ます池田瑛紗(アンドロイド)


タイトルの「心にもないこと」と「心が無い」を掛けているのだと思います。

日本語的にイコールではないと思いますが
「心にもないこと」→「心が無い」→「アンドロイド」

前述した小川彩が悪いニュースを目にする描写もここに絡んできます

悪いニュースを目にする小川彩


つい数秒前まで楽しくピアノを弾いていたのに、たまたまテレビをつけて目に入った悪いニュースで表情が曇ってしまう。
「悪いニュース」→「"心無い"ニュース」→「"心無い"行動や言葉によって起きてしまった事件」

このあたりのネガティブな表現や気持ち、心の在処などのシリアスな要素もMVに含ませるために、アンドロイドという設定や小川が悲しむ描写を入れたのではないかと考察します。


▶︎「彼女達」には見えていて「私たち」には見えないもの


MVのサビ以外はワンカット撮影で
各メンバーがパントマイムをしています。

あまり考察に絡みませんが一応まとめると

池田→カーテンを開ける
小川→ピアノを弾く、リモコンでテレビをつける
一ノ瀬→服を選ぶ
川﨑→雑誌を読む
井上→絵を描く
中西→レコードをセットする
菅原→カメラで撮影する
五百城&冨里→飲み物を飲む
岡本&奥田→オセロをする


この演出で重要なのは

この世界のメンバー達には全て見えていて
このMVを見ている私たちには全て見えない


という点だと思います。


もしメンバーがお互いにそこにあるモノを認識していなかったら「え?なにしてるの??」という描写があるはずですが、そんな描写は一切ありません。

メンバー達には全てのモノが見えていてお互いに認識しているので、リモコンを取り上げることもオセロをすることもできます。


では、メンバーには見えていて「私たち」には見えていないという演出が何を表しているか

それは『心』だと思います


メンバーとして抱いている心情や志し

"乃木坂5期生でしか知り得ない気持ち"


『心にあるもの』を表現しているのではないか、


「私たち」からは
「見えているようで見えないものもある」
という意味だと思います。


前半で書いた「彼女達のステージでありホームである生活空間」だからこそ、さらにこの演出が際立ってるように見えます。


▶︎窓の外に見えている正体とは

MV中にメンバーが窓の外を難しそうな表情で見ているシーンが3回あります。
(冒頭の池田瑛紗→1サビ前→2サビ前)

イントロ / アンドロイドなので無表情
1番サビ前
2番サビ前


MVの中に3回も窓の外を覗く演出を入れていて
そのうち2回はサビ前という共通点から
ここにも演出的な「意図」を感じます


"何か"
を見ているように見えるシーンですが
今回の考察に当てはめて考えると"何か"とは
「私たち」なのではないかと考えます。


1サビ前の歌詞は
「感情に流されて ほら違うニュアンスで受け止められちゃうよ」

2サビ前の歌詞は
「どんな風に割り切れたなら ちゃんと理解してもらえるんだろう?」


メンバーがファンに受け止めてほしい事、
理解してほしい事

ファンがメンバーに受け止めてほしい事、
理解してほしい事


『心にもないこと』の歌詞にもあるように
(恋愛的な意味ではなく)お互いの気持ちを
試したり、疑ったり、
想像したり、決めつけたり、
好きだからこそ、大事だからこそ、
行き過ぎてしまう、すれ違ってしまう
心の難しさを

この窓の外にいる「私たち」
見ているのではないかと考察しました。

なので「難しいなぁ」という表情なのではないでしょうか。

外は宇宙に囲まれている


家の周りには宇宙が広がっています。

周りから「彼女達」を見ているのは「私たち」だけでなく「世間」「有象無象」も含まれていて

そんな未知の宇宙(カオス)に囲まれながらも
彼女達は乃木坂として生きています。


書いていると想定よりもシリアスな考察になってきましたが、次が最後のMV描写からの考察になります。

▶︎「私たち」に伝えてくれたファインダー越しの気持ち


ここまで書いてきた通り
「心にも無い気持ち」も
「心に有る気持ち」も
両方"気持ち"なので誰にも見えません。


ですがその「気持ち=心」
「伝えようとする事」はできます。

メンバー同士は"同じ環境で生活する"
"乃木坂5期生"同士なので
その「気持ち=心」をお互いに共有したり、
汲み取ってあげたりすることはできます。

その気持ちを1番2番AメロBメロの
彼女達には「見えていて」
私たちには「見えないもの」で表しています。



1番2番のサビ前では
彼女達と私たち(外の世界の)「心に有るもの」と「心に無いもの」の気持ちがすれ違う
「難しさ」を表しています。


それがここまでのイントロ〜Cメロまでの
MV描写で描いていた内容だと思います。

ここまでの物語は「彼女達」で完結していて、
窓の外を覗いて「私たち」「外の世界」
と向き合うもやっぱり「難しいなぁ」と思っている所です。

特に池田瑛紗(アンドロイド)は「心が無い」ので
他のメンバーよりも「心の理解」に苦戦しています。


ですがその見えない「気持ち=心」
「伝えようとする事」はできるのです。

その重要な手段は菅原咲月の持っている
「カメラを通す事」でした。

カメラで撮影する菅原咲月


MVの中では「カメラを通す事」
と比喩してますが現実世界で例えるなら

「自分の気持ちを私たちに伝えようとする手段」なのでメンバーによって様々です

「ミーグリで直接伝える」手段
「ブログで想いを綴る」手段
「言葉ではなくパフォーマンスで魅せる」手段
「トークアプリで送る」手段

ほかにも沢山あるかと思います。
どのメンバーも『見えない気持ち=心』
色んな手段で私たちに見えるように
日頃から伝えてくれてます。

その中には紛れもない私たちへの
『感謝』があります。

集合写真を撮るメンバー達


その気持ちが"ファインダー越しという手段".
を使って、私たちに見せてくれた、伝えてくれた

『感謝の花束』

だったのではないでしょうか。

感謝の花束



この写真の宛先はきっと「私たち」です




ファンがいてアイドルが居るのは
傲慢ではなく本当の事で、
そんな彼女達が日頃から伝えてくれる
「ファンの皆さんがいて〜」は
『心にもないこと』ではなく嘘偽りない
本当の気持ちであり、私たちはその気持ちを
受け取る必要があります。
そして私たちはその気持ちに感謝で返すのです。




先に結論を書いてしまいましたが、
流れを補足すると

イントロ〜Cメロ→彼女達の世界
Cメロ〜アウトロ→彼女達が私たちに見せてくれた世界/伝えてくれた気持ち


Cメロ最初にモノクロの描写があります

モノクロ
少しだけ色がつき
全てに色がつく


動画で見ると分かりやすいですが
モノクロから色つきに「切り替わる」というよりかは「段階的にジワっと」色がついているように見えるので私は『現像』を演出しているのではないかと考察します。

この考察から
Cメロの映像は菅原咲月のカメラで
「ファインダー越しに見せてくれている映像」
「ファインダー越しに見ていない映像」の
切り替えだと思います。

Cメロの映像を並べると

白いフレームあり
白いフレームなし
白いフレームあり
白いフレームなし
白いフレームあり
白いフレームなし

この白いフレームがある瞬間とない瞬間が交互に切り替わるCメロの演出は気になった方も多いと思いますが、


「フレームがある時」→ファインダー越し
「フレームがない時」→ファインダー越しではないと考えていて
フレームが「ある時」も「ない時」も
「映像に変わりがない事」が分かります

Cメロ以前のAメロBメロでは
ファインダー越し/越しではない で
見えるモノが変わっていましたが

Cメロでは「見えているモノに変わりがない事」
を描写してくれています。


つまりファインダーを通さなくても
「私たちが」が見えている気になっている気持ちと「彼女達が」抱いている気持ちが
「リンクしている瞬間もある」ということを
教えてくれているのかなと思いました。



こうしてイントロからCメロまでを終えた
池田瑛紗(アンドロイド)の表情が
アウトロで一瞬映ります

アウトロの池田瑛紗(アンドロイド)


メンバーと一緒に生活したり
パフォーマンスをしたり
気持ちを共有しようとしたり
集合写真を撮ったり

そんな日々の中で池田瑛紗(アンドロイド)に
『心』が芽生えた瞬間なのかもしれません。





"彼女達の居場所"の中心には

彼女達の居場所の中心





『花束』
が飾られている。





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以上、『心にもないこと』MV考察でした
ここまで読んでいただいた方、
ありがとうございます!


裏コンセプトの『地球滅亡阻止』についてはMV描写から自分では推察することはできませんでした。窓の外を覗くシーンで「ほら!隕石が地球に!?」みたいな感じですかね、そう見るとギャグテイストなMVになりますし、「5期生が滅亡を阻止する描写」は全くどこなのか分からないので考察って難しいです!がまた別の見方、という意味では良いですよね。 

自分は『心にもないこと』の歌詞にあるような、人の気持ちが交錯する見方、でMVを考察してみたというところでした。

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MV考察となると
好きな歌詞とかパフォーマンスとか
そういうのを書く隙がないので
少しだけ曲について書かせてください!

自分的に『心にもないこと』は真剣に聴くと泣きそうになる曲で、それだけ心に響く曲なので好きです。『17分間』も全く同じ理由で好きです。



『心にもないこと』で1番好きな歌詞はCメロの
「好きだ 好きだ ただその事を」の所

ここの歌詞って普通なら
「君が 好きだ ただその事を」とか
「僕は 好きだ ただその事を」になりそうですが「好きだ 好きだ」と繰り返している違和感が

主人公の焦りや追い込まれた気持ちを表現しているようで好きです。


『心にもないこと』をイメージしながら聴くときに歌詞のメインになっている「恋愛関係」とか今回の考察で触れた「ファンとアイドルの関係」がありますが、


個人的に1番好きなのは「5期生の関係」
でイメージすることです

5期生がデビューして1周年ある程度
メンバー間の交流も関係も築けてきた頃
そして選抜とアンダーが分かれた
このタイミングで人間関係の曲を歌う
というのが良いなぁと思います

人間関係って遠ければ気づかなかった事も
近くなる事、親しくなる事で気づける事、
逆に気づいてしまった事もありますよね



人間なので5期生も今このタイミングは色んな感情で触れ合っていて、支え合っていて、時には気持ちを確かめたり、疑ったり、共感できたり、できなかったり、することもあると思います。


そんな今の5期生の関係性でこの曲を歌っている事が『心にもないこと』の好きな所でした


この考察を読んだ後に
『心にもないこと』MVをもう一度見ていただけたらなぜか自分の誕生日に10時間かけて
このnoteを書いた意味が少しだけ生まれる気がします🍛🐴 (7000字)



▼Twitter
スープカレーうま馬
@yuri_kumi_nami




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