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接続系理論の改訂と理論の評価法にまつわる話

SoundQuestがようやくβ版から前に進んで正式公開となりました。

そして最後の大きな変更ということで「接続系理論」からアルファベットの型分類を廃止しました。この記事では体系の変更に至った背景(どのようにして考え方が覆ったか)について書いていきたいと思います。

これはβ版の接続系理論に付き合ってくださった方へ説明責任を果たすような意味合いでもあるし、また独自の音楽理論を考える人たちに対して「自分はこうやって理論の評価をしています」というアイデアをシェアするものでもあります。

📊 理論の評価

まず音楽理論の良し悪しをどんな基準で評価するかという話なのですが、今回はざっくりと「効用÷コスト」という観点で評価を整理していきます。

効用について

理論には目的があります。それは「アドリブセッションをする」「四声の美しいハーモニーを作る」「日本の民謡や童謡の構造を体系化する」「バルトークの音楽を分析する」など、汎用的なものから限定的なものまで様々です。そうした目的をいかに高いレベルで達成できるかが、当然ながら評価の第一基準になります。

コストについて

一方で、精密な理論を作ろうとするとどうしてもその内容は複雑化してしまいます。そこに歯止めをかけるために登場するのが、コスト意識です。ここでいうコストというのは、学習にかかる時間や労力のことです。コストがかかりすぎる理論は、けっきょく人に使ってもらえず、単なる自己満足のような形で終わってしまいます。それは不本意ですよね。

特に理論の目的が汎用的なものである場合は、コストも相応に低いことが求められます。

▼初期投資とランニングコスト
学習の労力はまた大きく2つに分けることができ、ひとつは初めて理論を学ぶ際の初期学習コスト、もうひとつは一度覚えたものを忘れずにいる記憶維持コストです。
基本的には覚えやすい理論なら忘れにくい理論でもあるはずなので、二者は往々にして相関するでしょう。ただ、記憶維持コストというのは作る側が見落としがちなことなので、努めて意識しなければならない部分になります。

▼“理論論”は人それぞれ
これはあくまで個人的な価値基準であって、「学習して使ってもらう」よりも純粋に「体系として美しいものを」という目標を持つ人もいるでしょう。私はやはり実際に人に使ってもらってこそ理論の意味があると考えるタイプなので、コストはひとつの決定的な要因とみなします。

また効用・コストを具体的な数値で算出することは難しいため、この2つはあくまでも定性的な指標として働くことになります。

🎯 接続系理論の目的

改めて、「接続系理論」が説明すべき内容は以下のとおりです。

  1. ルートモーションごとの性質の違いの説明

  2. 一般理論での禁則の解説

  3. 各ジャンルの王道進行の紹介

伝えたい情報自体は固まっているので、得られる「効用」に関してはもう大方決まった状態だと言えます。ですから後は、いかにして学習コストの低い解説システムを作れるかに注力することになりますね。

③についてはもう単に羅列する他ないので、①②のまとめ方、そのデザインが検討すべき課題となります。

大カテゴリと小カテゴリ

接続系理論はコード接続を分類します。分類基準が複数ある場合、どれかひとつをプライマリーなカテゴリとして定める必要があります。

つまり「①ルートモーションの種別」と「②禁則か否か」、どちらのカテゴリ分けを第一の階層とするかが、システムデザインの大きな分岐点になってくるわけです。

実はサイト公開前の最初期の草案段階(2017年)では、禁則の方が優先カテゴリになっていました

「基調和音」も草案では「基礎六和音」だった

この草案だと、IIIm→IVを除くD→Sの逆行3つを「逆接続」と呼んで特別視し、逆にそれ以外の5度接続は上下かまわず「順接続」と呼ぶという方式でした。

結局これだと暗記の流れがスタートからほぼシンプルな丸暗記になってしまうこと、機能論との差別化がそこまで図れないこと、最終的には「禁則なんてないんやで」に行き着くのに禁則が第一基準で枝分かれするのは合理的でないことなどから、このカテゴライズ法は取りやめました。

👼 アルファベット型の利点

では実際に接続系理論においてアルファベットを用いたことのメリットは何だったかを見直してみます。

①根本的忘却の阻止

わざわざアルファベットという別の記号を用意するのには、まずその存在自体を忘れられにくくするという意図がありました。

逆の言い方をすれば、特に名前が与えられていないと「どのモーションがどうなんだっけ?」という以前に「モーションごとに性質や嗜好が変わる」という認識自体が忘れ去られるリスクがそれなりにあるわけなのです。

これはある種の盲点で、理論を組み立てるサイドからしたら関心事はその中身を練ることであって、学習者から後々「エッそんな話あったっけ?忘れたわ」と言われる未来のことなどあまり想像しません。もちろん「忘れるなんて自己責任」で済ませてもよいですが、接続系理論に関しては重要な基礎なので、忘れられにくい工夫を施そうと当初考えたわけです。

▼改訂後の状態
現在は単に数字に置き換わっているため、接続の話そのものを忘れる人は相対的には増えるはずです。そこはNEXUSという単語のインパクトだったり、目次ページで「接続系理論」の章が鎮座していることで、ある程度記憶に残ることに期待するしかないなというところです。

②シンボル化による理解促進

ルートモーションをアルファベットに、禁則か否かを数字に置き換えることで文章が簡潔になるというのもまた、重要なメリットのひとつです。

これらは単なる文字数の節約に留まらず、用語が用語として浮き立ち、解説中の階層構造や現在地点が分かりやすくなる効果もあります。

カテゴリがフロアガイドとして機能する

例えば用語のない平の文では…

3度上行のうち使いやすいもの2種の解説は終えたので、ここからは一般理論で禁則とされる残り3つの紹介をします。

こんな書き口になる。文自体はストレートに読めるんですが、章を通じて今どう進んできているかという全体像を俯瞰する感覚はパッとは得づらいです。

一方で用語を使うと…

E¹の解説は終えたので、ここからはE²の紹介をします。

こうです。この場合E¹・E²の中身を展開する必要はあるものの、それより先にまず「今は大カテゴリの最後に来ていて、そのうち小カテゴリ2つ目のところに差し掛かっている」という現在地が直感的に分かります。
極端な話、「ああ、次の小カテゴリに進むんだな」で済ませて、E¹・E²の中身をさして展開せずに流し読みするという選択も読者はとれるわけです。

なのでここの評価というのは案外複雑なものがあって、長い文言を記号でパッケージ化することには想像以上の効果があったりするのです。

▼改訂後の状態
現状は1・2の分類がなくなったため一律二重括弧で『かつての禁則』と表記していますが、冗長さは否めません。一方ルートモーションに関しては黒四角の専用シンボルを用意することで“半・記号化”をしています。

この「紙面上ではシンボル化し、読みは用意せずそのまま」というバランスの取り方は、2017年当時は出てこないアイデアでした。テキスト上の可読性を高めつつ用語は増やさないという“折衷案”で、これはちょうど良い落とし所かなと思っています。

③曖昧な記憶からの思い出し

接続系理論が意味のある単語のイニシャルをとっているのは、主には5度上下の性質の区別のためにあります。

つまり、「5度上行/下行のどっちが基本的な接続だっけ?」となった時に、A/Bが思い出しのとっかかりになるという意図です。数字そのままだと純粋な丸暗記にしか持ち込めないだろうというのが、2017年当時考えていたことです。

▼改訂後の状態
これに関しては、「4度」を「5度」に替えて、「5度・3度はどちらも落ちる方が自然」という覚え方に変更されています。これはメロディ編の「音重力」の話とも通じる内容なので、非常に合理的な説明だと言えます。

上下イメージによる暗記を推奨

こんな説明なら初めから思いつきそうなものですが、2度に関しては下行の方に禁則があるというのがネックでした。クラシック理論では「2度上、3度下、5度下」が“強進行”と呼ばれるので、「上下はバラバラだから暗記に利用できない」と思い込んでいた節があったのです。
2度の禁則はゆるいものだから、「2度はどう進んでもOK」という説明で除外したらいいんじゃないかと思い立ったのは最近になってのことでした。

以上がアルファベット式を導入した主な動機です。

👿 アルファベット型の問題点

一方アルファベットを採用する問題点についてですが、最大の問題はもちろん暗記にかかるコストです。
アルファベットの対応を覚えるのはそこまで苦でないにせよ、覚えたての記号を使ってさっそく解説が進むというのは学習者にとってのストレスになっていたでしょう。

覚えたての記号で解説が進む

これだと「説明の内容を理解する」のと「図中のアルファベットを変換する」作業を同時に行うことになって、脳のCPU消費はなかなか激しいものがありました。

これについては、単なる数字で書かれた方が楽であることに否定の余地がありません。

こちらの方が変換作業に追われることなく、内容を飲み込むことに集中できますよね。

そして、これ以外にも幾つかの懸念点がありました。

単語のチョイス問題

まず単純に、A-Fの単語を美しく当てはめていくことの難しさがあります。意味重視でABCをあてていった結果として解説順序はC→B→A→D→Eと、妙な順序にならざるを得なかったのも、心に引っかかってはいました。

また単語の意味に関しても、特に「Active」というのが語として相応しいのか?というのはずっと燻り続けていた問題です。

加えて5度下行がBasicであるのは現状事実であるけども、それは「クラシック/ジャズの型が音楽の"基礎"である」という思想を追認することでもあり、その点で潜在的問題を孕むものでもありました。

「伝統も多様性も尊重する」ことの難しさがここにあります。

かといって、全ての接続系にDrop/Elevateのような特に意味の強くない語をあてるのだったら、今度はそもそもアルファベットにする効用が薄くなってしまって、これは本末転倒です。単語と結びつけるなら、覚えるだけの意味がある単語と結びつけなければなりません。

つまり「各ルートモーションの性質を暗記するために、意味のあるアルファベットを用意する」という方法だと、どうしてもその単語の印象が影響力を持ちすぎるという負の側面から逃れられなかったわけです。

応用性問題

用語を作る際には、その語がどれほどの応用力を持って多岐にわたる活躍をしてくれるかというのは重要な評価ポイントになります。その語によってバラバラな項目に連帯が生まれたり、より高次元の議論への足掛かりになったりすると、その用語化の妥当性は飛躍的に高まります。

例えば「傾性」という語は──これはそもそもTendencyの和訳であって造語ではありませんが──単に「半音解決」や「中心認知」の論にとどまらず、短音階の導音、ブルーノートやクロマティックアプローチ、教会旋法などかなり広範な内容を単一の論理でとりまとめるのに寄与しています。
サイトのメロディ編では、まずI章で音階の半音/全音に関する論理の下地が出来ているからこそ、III章の音階論の内容がスムーズに入っていけるわけです。

あるいは「シェル」だったら、用語化したことによって「変位シェル」や「シェル傾性/ベース傾性」といった1レベル上の議論をスムーズに行うことができるようになります。

そこへきて接続系のアルファベット分類を見ると、VIII章では12種類のルート移動へと情報が再分化され、アルファベットは使われなくなります。ABCDEFはあくまでも基礎レベルでのみ利用され、それより上には応用されていないわけです。この“広がり方”の差もまた、廃止の一因となりました。

一歩飛ばし過ぎ問題

そもそも日本の音楽理論書だと、ルート・モーションに関する項が用意されてないコンテンツが普通にあります。5度下行が「強進行」と呼ばれる話はあっても、2・3・5度全てを説明するセクションまでは無いというのが、ポピュラー理論書だと多数派でしょう。

だから日本ではまだ「ルート・モーションによる分類って大事なんですよ」を伝えていく段階であって、「だから禁則情報もコミでシンボル化して、より記号化された体系にしよう」は1ステップ先まで行き過ぎているきらいがありました。

▼一歩と二歩の抵抗感
この「1ステップ飛んでる」状態は自由派音楽理論そのものにも言えることです。
日本はまだ「流派が複数あるんですよ」ということを周知する段階なのに、「だからその流派を総合してより包括的な体系を作ろう」は1ステップ多く進んでしまっている。

そしてこの一歩か二歩かで人々の感じる抵抗感がけっこう変わってくるというのは、サイトの公開後にじわじわと肌感覚で分かってきたことです。一歩なら面白そうだから付いていくけど、二歩行かれるとラディカルすぎて引いてしまう(冷めてしまう)というブレーキのようなものが人間の思考には備わっている気がします。

だからせめて接続系理論の方は、ステップの飛躍を抑えた方がいいのではと思うに至りました。

目的ずれ問題

最後に、記号に置き換える動作があることで、楽曲分析の際に「記号に換えること」がゴールとみなされてしまうという問題が僅かですがありました。つまり、コード進行を分析して、アルファベットにしただけで「よし、分析完了」と思ってしまう。本当はそこからどんな接続法に偏っているかといった部分を考察してこそ意味があるわけで、これは記号を設置したからこそ生じた負の側面と言えます。

⚖️ 判断の決め手

このメリットとデメリットの比較、どちらが勝るかというのは本当に難しいところで、廃止を決断したのは「読みはそのままでシンボル化」「下行=自然という論理で暗記」といった明らかな改善案が浮かんだことが大きいです。

それから、ちまたでの禁則の破られ具合がさらに加速しているのを感じていた影響も少なからずあります。各種禁則進行はどんどん一般化されてきており、初期バージョンを作った2017年と2022年、このたった5年でも変化は感じます。そしてこの変化は今後さらに加速度的に進んでいくでしょう。それを鑑みると、1族/2族という区分を失うことの損失は年々小さくなっていくだろうと考えました。

加えて『スピッツ論』でカーネル/シェルの語が採用されたこともかなり大きくて、「そうか、こうやって他所で採用されたらもう後に引けなくなるんだな…じぶん、Active/Basicと心中できるか?」と己の心に問うたときに、「今引き返す分には後でまたやり直すこともできるぞ」と思ったのはあります。


以上が、アルファベット式廃止の背景にあったおおよその考えになります。やはり2017年当時はまだ理論が人々に使われていくさまを想像するには経験が少なく、思い至らない部分が多くあったことが今では分かります。

そんな中で、できたてほやほやの接続系理論を覚えて利用してくださった方々には本当に感謝しています。今後もまた理論をアップデートしたり、何か新しいものを提唱したりすることはあると思うのですが、こうした変化も含めて見守っていただけたら幸いです。

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