見出し画像

ルービックキューブと学習プロセス

去年の夏にルービックキューブを買って、YouTubeで勉強して、私はとうとうルービックキューブを揃えられる側の人間になった。

私とルービックキューブの歴史は古くて、中学生のころにウィルスミスが映画のワンシーンでキューブをカチャカチャと揃えている姿にキュン!と胸打たれそれ以来ずっと自分も揃えてみたいって思っていたのだ。今年は家にいる時間が増えたこともあって、ついに着手する運びになった。

抜群のゲームシステム

ルービックキューブのゲームシステムはなかなかすごくて、スピードを度外視すれば、揃えること自体は思ったほど難しくない。

序盤はある程度キューブの仕組みというのを理解しながら頭で進めて、中盤以降になると完成した部分が崩れないよう、決まった特定の回し方をして揃えていく。
それはさながら格闘ゲームのコマンド入力、右右上下ABBみたいな感じで「この回し方をするとコレがココに来て完成に近く」という技がいくつも存在するのである。コマンドは最低5個マスターすれば、それで十分にキューブが揃えられる。

▼通常クリアとタイムアタック
より難しいコマンドを覚えると劇的にゴールまでの道のりをショートカットできて、ツワモノたちはそれをたくさん暗記しているわけだけども、「ひとまず5個覚えたら揃えられる」というところがゲームの設計として秀逸である。

この感じは、車の運転で「右折が出来ない人でも左折を3回すればなんとかなる」のと似ている。

画像1

(※車の運転は車道が左側通行である性質から左折より右折の方が大変で、極度のペーパードライバーはこの戦略をとることもありうる。2019のM-1グランプリでぺこぱが言っていたのはこのことである)

上級者と初心者で別々のルートがあって、たどたどしくてもゴールはできて、それぞれが相応の達成感を得ることができる。これは登山とかスーパーマリオとかとも同じかもしれない。

他にもコマンドの暗記に加えてスピードを上げるための要素がいくつかあって、

・そのコマンドを素早く実行する手元の技術
・どのコマンドを使う場面なのかを判断する反射神経
・序盤を最短手数で終わらせるための詰め将棋的思考力

など、手・目・頭それぞれにフル稼働を要求する、予想以上にintensiveなゲームなのである!

▼射幸心とやりがいのバランス
それぞれの局面において最適なコマンドというのがあり、全部で119個くらいある。当然全部は暗記できないので、遭遇率の高いものや覚えやすいものから覚える。ちょうど覚えたコマンドを使える局面に来たらそれを使うし、そうでなければ次善策的コマンドで──左折を3回繰り返すような手間をかけて──局面を進めることになる。
つまり、運の要素がここに介入してくるのである。毎回のトライが"ガチャ"を引くようなもので、「自分の得意なパターンが来たらラッキー」というギャンブル的な愉しみ方が出来る。コマンドを覚えていないという技術的な未熟さが愉悦の源泉になるという、逆転構造を有しているのはほんとうにすごい。

その一方で、地道な努力が確実に成果を生むゲームでもある。判断力や手元の技術は継続的な練習でみるみる上達するので、ちゃんとスポーツ的な楽しみも兼ね備えているのだ。
タイムが縮んでいくのが楽しく、数ヶ月経った今となっては良い"ガチャ"を引けば1分かけずにキューブを揃えられるようになった٩( ᐛ )و

学習と実感

ルービックキューブの修得課程で印象的だったのは、「最初期にだけ使用し、上達したら使わなくなる」という、いわば「ビギナー専」の攻略法を最初に教わるということ。
ここにはきっと流派もあるだろうけど、少なくとも私は最初に学んだその攻略法を一週間ほどで卒業し、「慣れた人向け」の攻略法に移行していくという2段階プロセスを踏んだ。

これは学習の流れにおいて極めて重要なことで、というのも最初期の段階では、自分が果たしてルービックキューブを完成させる人間になれるのかどうかがサッパリ分からない。この段階において学習者が求めるものは、プロレベルの最速解法ではない。自分がルービックキューバーになれるという「実感」なのである。

ビギナー専のやり方で一度キューブを攻略して、ああ自分もキューバーになったという実感、キューブを完成させる体感があればこそ、より高度なメソッドに進んでいこうというエネルギーも湧いてくるのであって、最初から本筋の攻略法で入っていたら、完成前に挫折していた可能性は大いにある。

▼音楽理論と実感
音楽理論が、その効果を実感・体感できるまでの道のりに関して険しいものであることは間違いない。基本的な語彙をまず習い、その語彙を用いて概念を形成するという抽象性の高いプロセスが序盤で続くからだ。

それゆえ理論を教える側には、いかに早く学習者に「実感・体感・達成感」を抱かせられるかというのが重要なタスクとしてある。

SoundQuestが準備編早々に「中心音」の解説を行うのは、それがスケールのレラティヴ関係やキーの主音の概念を説明するのに必要だからという点ももちろんあるが、これが「最速で実践に移せる知識だから」という点が非常に大きい。

スクリーンショット 2021-01-10 0.05.19

ほとんど全ての理論が実践までに何らかのインプットを要する中で、調性を認知する能力だけは(程度の差こそあれ)誰しもが"既にインプットされている"能力であって、背中を押しさえすればすぐに実践に応用できるものである。

中心音に終止する/しないの聴き比べで違いを感じられた人は、その時点でもう「音楽理論をもとに楽曲を分析した」側の人間になる。かなり擬似的で、原始的ではあるかもしれないけど、そこで一回理論を"体感"できることは大きい(と信じている)。

▼簡単ですの罠
ルービックキューブのように全く新しい分野のことを学ぶというのが久しぶりだったので、初学者の気持ちというものを久々に味わった。

怖いなと思ったのが、「簡単です」という言葉にけっこうイラっと来るということです。

ビギナー向けのキューブ講座で「ここは動作ひとつ覚えるだけです、ほんとに簡単ですからね」とか言ってカシャシャシャカシャッと動かされると、「こっちからしたら簡単じゃねーわ!」という気持ちになった。

言う側がモチベーションアップのために言ってくれていることはたいへんよく分かるのだけど、簡単じゃないことを簡単と言われるのは嫌なことで、むしろ「難しいよね、大変だよね」と言われたいという心理に気づいたϵ( 'Θ' )϶

自分も記事のどこかで一回くらいはこれをやってしまっている気がするので、見つけたら直さなきゃなあと思うのでした。

画像3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?