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日本維新の会で行こうと決めた理由:その3:(政策のこと)

やっと政策について辿りつきましたが、今回は最終回で政策の総論的なことを書きます。

「過去を向いているのか?未来を向いているのか?の違いだ!」
と閃いたのは、今月でもある2024年の3月、市役所の4階の議場に座り目の前で展開されている質問を聞いていたとき、議会の真っ最中でした。

議論の中身の個別な事は否定すべきではない事でしょうが、そんな過去のことばかりに目を向けて意味があるのか?と思いました。振り返って見れば、この感覚は議員として御前崎市議会で活動している割と長い間、ずっとありました。

そして「私には、過去を向いている時間なんてない」と思ったし、御前崎市だって時間はないとも思いました。

少し詳しくいうと、私は「どうして○○だったんだ?」的な質問ばかりでは生産性は上がらないと思っていて、そこを糾弾する時間があるなら(時間は有限なので)「これからどうするのか?」を考えたいと思っています。ここはコーチングの基本的なスキルでもあります。
過去は「適切に」「冷静に」経緯を認識することさえできさえしたらいいと思っています。(この「適切に」が御前崎でどうか?は、また別に書きます)。

「過去を向いている時間がもったいない」と思ったことに加えて、過去を考えられる人は、人生にゆとりがある人なんだろうなあとも思いました。例えば、私は議会のことに加え子育てとか親の世話とかまちづくりの活動とかであっという間に1日が終わり、あっという間に1週間が過ぎ1月が過ぎという日々を送っています。私はこういう毎日があっという間に過ぎてしまう方々を「現役世代」と呼んでいます。

いろいろな意味で余裕がある方々が過去を振り返って論じている事そのものに、胸が痛み、悲しくも悔しくもなりました。御前崎市政には前に進めたい事がいっぱいあるからです。言葉は悪いのですが、私たちはそんな暇じゃないとも思いました。これだけ変化が激しい時代に、市町同士の競争にもなっているしている今、過去にベクトルを向けている時間(とそれにかかる経費など)=議会で論じる時間、を使って色々と出来る事があったのではないかと思います。

大阪万博についての、維新へのというか吉村知事への批判がたくさん出ていますが、私にしてみたら財政赤字だった大阪が10年ほどで万博ができるくらいになったという事がそもそもにしてものすごい大改革を成し遂げたという事です。今の御前崎市議会に、そういうこと(=大胆な改革をして万博的なことすらできる力のあるまちにしていこう)まで持っていく「御前崎大改革ビジョンと戦略」があり、それを本気で実行しようとする存在があるのか? 
それは結局のところ、行動をみれば明らかです。3月22日、議会最終日のもう辞めることが確定している市長への不信任案が出た事については、私は驚きを通りこして意味がわからなかった。それをする時間があるのなら、意見書なり政策提言書なりを出したらいいと思います。市長候補2名と政策について話あうこともできるでしょう。このベクトルの違い。だから前に進めてないことが悔しいです。

私は「維新スピリッツ」は改革を一歩でも進めるためのひたむきさだと思うんです。だからこそ過去に囚われるのではなく、未来に役に立つ実務をしていきたいと強く思っています。


一旦、維新入りのことはここで終わりにしまして、今後は一つ一つの政策の各論を書いていきます。

お読みいただきありがとうございます



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