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日本維新の会で行こうと決めた理由:その2:(経緯)

おはようございます
その1はこちらからお読みください

今日は簡単な経緯を書いていこうと思います。
3つの経緯があります。

最初のアクションは本年の1月15日の事でした。

①いろいろなご縁
11月中旬のことです。菊川での若者に関するワークショップのランチタイムに東京から参加していたママさんと隣になって名刺交換をしたら、その方がたままた維新の地方議員の方だったので、社交辞令的に「維新この地域でも国会議員の候補者が決まったんですよ、御前崎の方なんです」って話を振ったら、お知り合い同士だったみたいで、どこかで私の話になったそうです。+その方と、ここ静岡3区で候補予定者のかました由佳子さんが、日本維新の会・音喜多駿政調会長と話をする機会があったようです。
そんな経緯からある時に、かましたさんから「さいとうさん、維新について音喜多さんとお話ししませんか?」ってお誘いを頂きました。

私にとっては音喜多さんはテレビで見る芸能人みたいな存在でして、ぶっちゃけ維新とかはさておき、一度音喜多さんと話せるなら話したいとミーハー(表現古くてごめんなさい)な気持ちで、「ぜひぜひ」って快諾しました。

で、1月15日に掛川にあるかました事務所でオンラインでつながり、10分程お話しをさせていただきました。
かました支部長と、初対面と静岡8区の寺島支部長も同席されました。

「何か聞きたいことはありますか」って振って頂いたので、慌てて(ミーハー的な経緯でしたので、あまり考えてなかったですが)私からは要約すると3つ質問をさせていただきました。
・維新の地方議員が絶対にやらなければならない事は何か?
・私には、維新のイメージのようなタフさはないが、それはどう思うか?
・地域での原発に関する事を何とかしないと思っている。維新はどうか?

音喜多さんの頭の回転の速さ、すごかったです。1を聴いて10を知るってよく言いますが、1を聴いて100を知るみたいに、「それってこういうことですよね」私の質問を要約し解説した上で答えてくれた事に驚きました。どの質問にも納得のいく回答で、というよりも納得以上の回答で、こういう人が政調会長をしている政党ってすごいとびっくりしました。維新は国会議員と市議会議員が平等なんですよって言われ、改めて日本の第3番目に大きな政党の現役の政調会長が市議会議員と話すために時間を割いてくれたという事の意義を理解しました。

②家族からの言葉
その日に帰って、家族にどんな事があったかを話しました。
私の議員活動にあれをしろ、これをしろとかほとんど言った事のない家族が、「実は、次回は無所属ではやめてほしいと思っていた」と言ってきました。理由は「無所属は(いじめとかが)心配だから、、。何か守ってもらう手立てを考えてほしい。」と。

政党に属することによるメリットは、大変な時の相談先があるという事です。(ない政党もあるかもしれませんが)たとえば維新の場合にもハラスメント相談窓口が開設されていて、議員、社労士、弁護士という専門家が相談に乗ってくれてアドバイスしてくれたりする仕組みがあります。


③かました支部長のあたたかいお人柄、寺島支部長のひたむきさ
昨年の夏から冬までの私は、政治に集まっている人たちへの人間性への不信感がありました。それは今でもあります。どこに対してとか、何があってそう思ったのか?についてはここでは書くのは控えますが(直接、聞いてくれたら話します)とってもあっさりと手のひらを返されたという体験がありました。政治家ってやっぱり自分の選挙しか考えないし、下々の者とか邪魔なの者はさっさと切り捨てるって事を体験しました。あくまで私の方からの見方ですが。

かました支部長と話した際に、かました支部長は維新の先輩議員に、地方議員が地方議会で困っていることについて「地方議会で、頑張って活動している議員が辛い目にあうのは全国的にある事。だからこそあなたが(地方議員を)守ってやれるように力をつけなくちゃいけないんだよ」って言われたって話をしてくれました。

都合よく切り捨てる人もいました。でも、党が一緒でもない、私からは何もまだ支援もしてもいない、ただ自分の選挙区の中の議員ってだけなのに、困っているならなんとか助けたいって思ってくれ、声をかけてくれた彼女のあたたかさに感激しました。

寺島支部長は浜松市(静岡8区)から立候補予定の30歳。初めてお会いした日に自作のロボットを見せてくれて、こんなおもしろくて新しい政治家がいるんだ!って、目から鱗でした。自身の出身地ではない浜松でひたむきに孤軍奮闘しています。

私はそんな二人(プラス音喜多さん、みなさん私よりもずっと若い方々です)から新しい風が吹いているのを感じました。とっても気持ちのいい風でした。そこに希望があるなって思いました。
一度は「やめよう」とか「もうできない」「やり続ける意味がわからない」と思った政治界隈ですが、もしもう少し関わっていくのならば、私は微力だけどこういう人たちのために自分の時間を使いたいし、彼らが新しい時代の扉を開いていく際の土台になれたらと思いました。

簡単な経緯はここまで、次は一番大事な政策についてを書きます。






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