テクノロジーは誰のものか?

~はじめに~

この前ある方と話をしていた時に、ステレオタイプの方の意見をお伺いしました。
そういう意見を聞いた時に反芻手段として、理論的に話しをすればよかったのについつい感情的になってしまった。
ダメねあたし。そういうのは「経験値不足」ってだけだとおもうんですよね。なので、感情的になってしまっても意味がないのに、ついつい感情的になってしまう。お子ちゃまなワタシです。
その時の議題がネット環境の配備についてが議題だったのですが、その時話した内容は相手方に預けた内容なので、
ちょっと大枠にして、こんなお題にしてみました。
少し考えてみました。

~テクノロジーって何?~

テクノロジーをwikiさんで調べると

「特定の分野における知識の実用化」
「科学的知識を個別領域における実際的目的のために工学的に応用する方法論」

と記載されています。テクニック論らしいです。
なので、古代からいくと火を使ったり、それで照明をつくったり、斧作ったりなどもテクノロジー。
ルンバ(自動掃除機)からAR・VRなどもそうですかね。

便利なものもありますが、テクノロジーは原子力の発電にもなれば原子力爆弾にもつながります。

車が出来て、救急車が出来て助かる人もいれば、車に轢かれて死んでしまう人もいます。

環境を破壊するテクノロジーもあれば、環境を守るテクノロジーもあります。もっと細かく言えば、人間と環境が共存するテクノロジーや、環境を作り出すテクノロジーなどその可能性は上にも下にも右にも左にも無限大です。

~アクセシビリティとノーマライゼーション~

最近、このアクセシビリティって言葉が使いやすくて好きです。
ちなみにこちらもwikiさんよろしく!!
アクセシビリティとは

近づきやすさやアクセスのしやすさのことであり、利用しやすさ、交通の便などの意味を含む。現代では、広い種類の利用者が製品や建物、サービスなどを支障なく利用できる度合いを指していることが多い。IT分野では、使いやすさや利用しやすさを意味するユーザビリティに近い意味として使われることが多い。この場合、技術に依存せずさまざまな情報端末やソフトウェアから利用できることを目指している。

ノーマライゼーションとは

1950年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つで、障害者も、健常者と同様の生活が出来る様に支援するべき、という考え方である。また、そこから発展して、障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方としても使われることがある。またそれに向けた運動や施策なども含まれる。

そんで、戻ります。

~テクノロジーって誰のものなのでしょう?~

民主主義国家の中で生まれ育ちました。
その答えがあるとすれば、
様々なインフラストラクチャーやプラットフォームなどのに対する答えは
「汎用性が高いこと」
「アクセシビリティが高いこと」
これに尽きると思います。
恣意的な意見は幾らでも言えますが、それでは社会整合性は生まれません。
だから出来る上で「やる自由」と「やらない自由」が選択できる世の中であって欲しいと願います。

ナショナルミニマムの観点から考えれば、生きる上で必要最低限のものは何なのでしょうか?
衣食住はもちろんですが、感染病などでダイレクトリーなやりとりができない世の中でインターネットなどのテクノロジーは僕にとっては「ミニマム」です。電気・水・ガス・ネットくらいな感じです(笑)
3.11の地震の時だって車の電源から必死こいて充電してたもんなぁー。
妻と会えたのも3日後でしたし、携帯持ってたおかげでなんとか当日中には連絡が取れたのを覚えています。

初期の2ちゃんねるの発想はある意味で素晴らしく
プラットフォーマーは場所を提供することが重要であり、
そこで起こる内容には意図的に干渉しないというのは汎用性を求めた結果なのかと思います。
そういやU.S.のトランプのSNSでこんな議論あったね。。
その上でサイバーセキュリティをどう考えるかというのは重層的な問題なんでしょう。


「テクノロジーは誰のものでもない!!」
ではなく、、
「テクノロジーはみんなのもの!!」

プラットフォームを整備する方々には是非そんな所を求めて欲しいとお願いです。

~終わりに~

前回こんな記事を書きました。

病室にWi-Fiというものはプラットフォームだと思って言っています。
病人に対する利益誘導ではありません。
環境がある上で使用する・使用しない自由がそこにあれば素晴らしいと思っています。