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「下天を駆けろ!」第31話(全42話)

(ここは何処だ?)
烈風丸は上下左右の感覚もなく、静寂が支配する真っ白な光の中を漂っていた。
(…泣き声?)
何処からだろう?無音の筈の空間から、誰かの泣き声が微かに聞こえてくる。烈風丸は気配を頼りにその声の主を探す。だが、周りは見渡す限り真っ白な空間だ。
(赤子?これは…赤子の泣き声…)
突然、目の前の空間に赤ん坊が現れた。手足をじたばたと動かして泣き叫んでいる。烈風丸は何とかしようとするが、今は身体と呼べるものが何も無い。
「許せ、赤子…」
烈風丸が呟いたその時、誰かの両手が伸びてきて赤ん坊を抱き抱えた。

「………ヒエン………」

緋色の城狩り装束を纏ったヒエンが、赤ん坊を抱いて立っている。優しく微笑むその表情は、烈風丸が見た事のない穏やかなものだった。
「頼むよ。アタシらの子」
そう言うと、ヒエンは抱いている赤ん坊を烈風丸の方へゆっくりと差し出した。赤ん坊は満面の笑みになって烈風丸に両手を伸ばしてくる。
烈風丸は赤ん坊の笑顔を見つめながら、穏やかに、微笑み返す様にヒエンに答えた。
「御意」
すると、烈風丸を見つめる赤ん坊の笑顔に、ハルの笑顔が重なって見えた。ハルが満面の笑顔で烈風丸を呼ぶ。
「ナナシ!」
その瞬間、烈風丸は全てを悟った。

「……そうか…ハルのあの笑顔は…」
「ハル…お前があの赤子だったのか……。お前が会わせてくれたのか?…ヒエン……」

真っ白な光が全てを包み始める。烈風丸は何も見えない。その真っ白な空間に自分が溶けていく様な感覚だった。それでもなお、ハルの満面の笑顔が眼に焼き付いて、いつまでも離れる事はなかった。

突然、視覚素子の視野が回復した。
最初、烈風丸は視覚素子の不具合を疑った。視界が全て肌色なのだ。それは、水晶玉に余りにも近すぎて、視覚素子をに収まりきれないハルの顔だった。ハルは流れる涙を拭くこともせず、真っ直ぐに水晶玉を見つめている。

「…ハル…お前……大きくなったなぁ…」
そう呟いた烈風丸の目の前で、が、みるみる泣き顔に変わっていった。
「起きたぁぁ!ナナシが起きたぁぁぁぁ~!」
ハルの叫び声はそのまま泣き声に変わっていく。ぐしゃぐしゃの泣き顔のまま両手で水晶玉を掴んだハルは、額を押し付けて号泣し始めた。
「起きたぁぁ~!バカタコドスケベ鉄騎が起きたぁぁぁぁ~!」
「…バカタコの後は事実無根だ」
「うるさいドスケベェぇぇぇぇ~」
久しぶりに聞いたハルの悪態だった。烈風丸は反論しながも、それが例えようもなく愛おしい事の様に思えた。だが、水晶玉を掴んでいたハルの両手が急に脱力したかと思うと、そのまま座席に倒れ込んでしまった。
「ハル!」
烈風丸は、慌てて座席の厚みを増やして倒れるハルを受け止めた。

「あーあ!こりゃ精魂尽き果てたってやつだわなー」
突然、女の声がした。不思議な白い装束を纏った女が、煙草を燻らせながら操縦席のハルを覗き込んでいる。
「ダイジョブダイジョブ~!眠っただけだよ」
女は水晶玉に向かって笑顔で言った。その顔を見た途端、烈風丸の感情素子は堰を切った様に押し寄せる記憶情報に溢れ始めた。烈風丸は半ば呆然と呟く。
「…貴方は…特技師様?」
「よっ!久しぶり!ミオちゃんでーっす!」
ミオは水晶玉に向かって投げキッスをして微笑む。
「………」
(これは…人違いか?…)
烈風丸は記憶の確実性を疑い、記憶素子を精査し始める。
「シカトすんなよ。えー、ゴホン…特技師のミオだ。会うのは二度目だっけ?」
ミオは煙草を口から外すと、ぎこちなく咳払いして言った。
(そうだ…某はこの方を知っている。だが、どうして……)
「どうして、今の今まで忘れていたのか…ってとこかな?」
ミオに思考を的確に読まれた烈風丸は、驚きの余り水晶玉が点滅してしまった。ミオは一瞬ニヤリとしたが、すぐに真面目な顔になった。
「私がお前さんの記憶を消した」
そう言うとミオはまた煙草を咥える。
「あの時、お前さんは特技師の聖域に入っちまった。聖域(ここ)は、いかなる理由があろうと存在を知られてはならない。だから記憶を辿れない様、赤ん坊のハルの事もね」
ミオはぷかっと口から煙を吐くと、まだ困惑している烈風丸を実に楽しそうに見ながら言った。
「で?」
「生き返った気分はどうだい?」
「生き…返る?」
「そう。お前さんは一度死んだ。それをハルが蘇らせたんだよ」
「ハルが?…」
(そうか。某はまた、またハルに…)
「ミオ様…」
「ん?」
「ハルが、あの赤子…なのですか?…」
「そうだよ」
ミオはまたタバコを咥え直す。
「ハルは、下天のことわりには無い生命体。だから私が預かった」
「あの日、お前さんがサクッと居なくなった後、泣き止まなくて大変だったんだぜぇ!」
イタズラっぽく言うミオに、記憶が戻った烈風丸は言葉すら無かった。
「あの後、ハルは泣き止んだと思ったらそのまま眠ちまって、十年も起きなかったんだよ!」
「十年?」
「で、その間に身体だけはどんどん育っちまってさぁ。今じゃどう見ても十八やそこらの大人の女だよなぁ」
「身体だけ?」
「やっぱ、それってまずいじゃん?だから擬似的な体験を情報にして、脳に直接送り込んできた。見た目と知的レベルの誤差をできるだけ埋める為にね。でも社会常識は二歳位かなぁ」」
理解を超えた話の連続で、烈風丸の情報処理が追いつかない。
「目が覚めた時は、本当に赤ん坊みたいでね。そりゃあ素直で良い子だっただけど、どんどん成長してクッソ生意気に反抗期になっちまってさぁ!どうにもならなくてシズカに預けたってわけ!」
「でもさ」
「二歳にしちゃあ頑張った!あの左手の力は…いくら調べても何なのか全然解んねぇけどねぇ」
ミオは一気に喋ると煙草を口から離して煙を吐いた。
「そういやぁ…ナナシは怖くない?あの力」
「全く。素晴らしい力でござる」
澱み無く即答した烈風丸に、ミオは満足げに微笑んだ。
「へへっ!さすがはハルの相方だなぁ!」


すると突然、ハルがガバッと体を起こし、寝ぼけ眼で不愉快そうに叫んだ。
「べらべら喋ってウッセーんだよクソ女!眠れねぇだろ!」
ハルの流れる様な悪態がミオに向かって放たれた。
「さてさて!コイツも起きたし!ちょいと急ごうか。じゃねぇとラクザが亡んじまう!」
「ラクザが?」
「何で?」
「『鍵』だよ」
「『鍵』?」
「ナナシが命懸けで運んだあの鍵だ。御母堂のやつ、私に届けようとしたらしいが…」
「面目ない。敵に奪われ申した」
烈風丸の水晶玉が色を失う。
「それは『言の葉』の情報だったかい?」
「御意」
するとミオは、腕を組んだまま何やら思案を始めた。
「ふむぅ…」
「おーい。ミオ?」
「でも、あの白髪野郎なら…」
独り言をブツブツ言うだけでミオは返事もしない。
「おーい!黙ると怖いんですけどぉ…」
すると突然、ミオが大声で叫んだ。
「ヤベェ!奴らはもう、大城を再起動済みだっ!」
「うわ!何だよ急に!」
「…大城?」
「そっ!箭瀬ノ大城」
「だ、だってあの時…大城は死んだんじゃ…」
「あー。アンタらは記憶に潜ったから、ガチで大城がリアルなんだな」
煙をふうっと吐き出すミオ。
「死んでない。仮死状態のまま東國が鹵獲していた」
「えっ?…なんで大城がラクザ?…」
困惑したハルがそう呟いた時、ミオが壁の方を振り向いてニヤリと笑った。
「おっと…お客さんだ」
「は?」
つられてハルもその壁の方を見る。
すると突然、空間が円形に歪み始めた。
「え?門?」
驚くハルと烈風丸の前で、開いた門から一つの塊が出てきた。
「雷電?リカ?」
らぼに出てきた雷電とその操縦席に収まるリカは、周りを見回して唖然としている。
「ここが…聖域?」
雷電の騎体はあちこち枝や葉がこびりついているし、操縦席のリカも疲労困憊といった感じだ。かなり無理をしてラクザから駆けて来たに違いなかった。

「コレで揃ったのかな~?」
ミオがニヤニヤしながら全員を見渡しながら言った。
「それじゃあ、大城討伐の作戦会議といくか!」

つづく「下天を駆けろ!」第32話

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