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「下天を駆けろ!」第30話(全42話)

(えぇ?マジで?ココ?…)
辿り着いたその場所を見たハルは、落胆でへたり込みそうだった。
山深い山中の視界が突然開け、広く平らな場所が現れた。そこには周囲の風景に馴染まない、大きな柱を途中で切ったような筒状の建物が忽然と建っていた。窓もなく、全体がつるりと凹凸のない金属の様な銀色で、月明かりを浴びてキラキラ輝いている。
だがそれは、ハルにとっては見慣れた光景だった。
(ミオの『らぼ』じゃん…)
すると操縦席に無機質な声が響いた。
「目的地に到着。所要時間八時間一分。二時間五分短縮」
「…あ、ありがとうございます」
女が精気のない掠れた声で礼を言った。道なき道を休みなく長距離移動したのだ。まさに疲労困憊といった女の様子にハルは少し同情した。
だがそんな女の苦労などつゆ知らず、疲れた赤ん坊は静かな寝息を立てて、その懐で眠っている。

「開いてるよ!入んな!」
元気な女の声が突然響いた。だがその声は音では無く、直接意識下に響いてきた。
(やっぱミオじゃん…)
すると、銀色の壁の一部に四角の線が現れ、みるみる開口して入口らしきものになった。
「遠慮しねぇで入んな…って、特技師の聖域は初めてかい?」
「普通、訪れる事など出来ませんよミオ様」
操縦席の女が女が呆れたように言った。だが、烈風丸は無反応のまま微動だにしない。女は焦った様で水晶玉に向かって懇願した。
「鉄騎様、どうか中に…」
その時、赤ん坊がまた泣き声をあげた。烈風丸が動かなくなったので目を覚ましたらしい。その時だった。

『なあ、烈風丸。この子アタシらの子にしようぜ!』

一瞬、烈風丸の感情素子がヒエンの笑顔を映し出す。ハルはその笑顔を見てハッとなる。
(あれ?アタシ…ヒエンさん…知ってる?…)
すると、烈風丸がゆっくりと入口に向かって動きだした。その途端に赤ん坊は泣き止んで、また嬉しそうに微笑んでいる。女は安堵しながら、懐の赤ん坊を抱き締めた。
烈風丸が建物の中に入ると、その背後で入口が消えて何も無い壁になった。
つるつると無機質な白い内装。灰色の丸い床。沢山の機械が埋め込まれている壁…。そう、ここはハルが隅々までよく知っている、ミオの『らぼ』だった。

「思ったより早かったじゃん」
部屋の中央に、白衣の女が腕を組んで立っていた。ついさっき見たミオそのままである。
「特技師のミオだ」
ミオはタバコを燻らせながら烈風丸に名乗る。だが烈風丸は答えない。
すると、赤ん坊が、また泣き声を上げ始めた。
「あぁ!ハルカ様!…」
女が狼狽して赤ん坊をあやし始める。すると、操縦席に鼓動が伝わってきた。さらに烈風丸の騎体が小刻みな上下動を始める。それは走っているのを再現する様な動きだった。赤ん坊はぴたりと泣き止むと、またニコニコと微笑み始めた。
(やるじゃん!ナナシ!)
騎体を動かしながら、烈風丸が抑揚のない声を絞り出した。
「城狩り衆『雷光組らいこうぐみ』が参ノ狩り、烈風丸」
それはあの無機質な声では無く、確かに烈風丸の声だった。
「シズカの眼を借りて全て見ていたよ」
ミオは操縦席の女を指すと、烈風丸真っ直ぐに見据えて言った。。
「相方は…気の毒だった」
感情素子にヒエンの最後が映し出されそうになるのを、烈風丸が必死に阻止している。ハルはそれを胸が張り裂けそうになりながら見守るしかなかった。
すると女が操縦席から静かに立ち上がり、そっと赤ん坊を烈風丸の座席に座らせた。赤ん坊は嬉しそうに微笑んでいる。
「私よりも…烈風丸様の方が、ハルカ様をあやすのがお上手です」
そう微笑むと、女はひらりと操縦席から飛び降りた。そしてミオに向かって深々と一礼する。
「烈風丸様と相方様は…命を賭してハルカ様をお守りくださいました…」
「全ては…私がキリエを…屠れなかった故の事…」
女は烈風丸に向き直ると深々と首を垂れる。烈風丸は何も言わない。その姿を見たミオは真剣な表情になると、女に向かって詫びる様に言った。
「お前のせいじゃ無いよ。私が後手に回った」

「…特技師…誠に…特技師様であらせられるのか」
地の底から聞こえる様な沈んだ声で烈風丸が言った。
「そうは見えないかな?」
ハルはイタズラっぽくニヤリと笑って答える。
上天じょうてんの民にして、下天の造り主たる特技師様にお願い申す」
「へ?」
「どうか、今この場で某を屠られよ」
「…なんで?」
「相方を守れぬ城狩り鉄騎は死あるのみ」
「やだね。自分でやれば?」
「ミオ様っ!」
女が思わずミオに叫ぶ。ミオはそれを聞き流して煙草を咥え直すと、黙って烈風丸を見据えた。
「…我ら下天の輩に自害する能力はござらぬ。特技師様なればご存じであろうに…」
「…烈風丸、だったっけ?」
ミオはふうっと煙を吐き出して、諭す様な口調で静かに言った。
「我ら特技師は創造と生成を司るもの。穢れである『死』には触れることも許されぬ…ってね」
「『下天のことわり』に反することはできない」
「…………」

暫く沈黙した烈風丸は、搾り出す様に呻いた。
「では……この赤子を下ろせ」
「…烈風丸様?」
女が驚いて烈風丸に向き直る。
「死に損ないは屍と同じ…赤子が屍と共に在ってはならぬ」
「相方が約定、早々に…破る」
ミオは煙草を燻らせながら煙たそうに顔を顰めた。
(ナナシ…)
ハルは耐え難い光景を目の当たりにしていた。烈風丸の感情素子に怨嗟の嵐が吹き荒れ、色彩や温もりをかき消してゆく。やがて烈風丸の感情素子は、死の匂いに満たされた静寂の世界に変わっていった。
烈風丸の覚悟を悟った女が、躊躇いながらゆっくりと操縦席に両手を伸ばす。だが、赤ん坊は抱き抱えられた途端、また大声で泣き始めた。それが決別の印であるかの様に、烈風丸はピシャリと風防を閉じた。

(…いやだ…)
その光景を、ハルは止めどなく涙を流しながら見ていた。
(いやだ…アタシを置いて行くな…)
(ナナシいやだ!アタシを一人にしないでっ!)
思わず叫んだその声が、音になって飛び出したのをハルは感じ取った。それは泣き声だった。赤ん坊の泣き声が、ハルの叫びそのものになって発せられたのだ。ハルはいつの間にか、赤ん坊となって烈風丸に叫んでいた。
(え?…アタシ?アタシって…えぇっ?)
すると烈風丸が、ハルに向かって静かに呟いた。
「許せ、赤子…其方は生きよ…ヒエンの分まで…」
(ウソ…この赤ん坊がアタシ?)
そう言うと烈風丸は無言のまま、何事も無かった様にゆっくりと後退していく。すると音もなく烈風丸の背後の壁が開口した。
(ダメ!いやだ!いやだ!ナナシ行かないで!)
ハルの叫びが更に大きな泣き声になって響き渡る。抱き抱える女が暴れるのを宥めているが、ハルは必死で両手を伸ばして泣き叫んだ。

『誰だぁ?赤ん坊を泣かした奴は?』

突然声がしたかと思うと一瞬で空間が変わった。ハルは同じ様に女に抱き抱えられていたが、ここはミオの『らぼ』ではなく、薄暗くて狭い通路だった。すると目の前に佇む烈風丸から、燃える様な緋色の装束の女が、よろよろと出て来ようとしている。
「ヒエン!」
烈風丸の声が驚いている。その真っ赤な女は烈風丸にもたれかかると、何か言いながら両手を広げてハルに優しく微笑む。
「ほら、おいで」
ハルは無性に真っ赤な女の所に行きたかった。両手を伸ばして必死で暴れていると、ふわりと暖かい腕の中に吸い込まれた。とても優しい、落ち着いた場所だった。温かい満面の笑顔がハルを見つめている。ハルも嬉しくなって笑顔になった。
「お前可愛い子だなぁ。可愛い!可愛い!」
なんて優しくて素敵な笑顔だろう…。ハルはその笑顔に尋ねてみた。
「ねえ、あなたは、誰?」

(………えっ………)

ハルの中で、全てが一瞬で結びついた。

(…知ってる…アタシ、この人を…知っている…)

「可愛いなぁ!烈風丸。この子、アタシらの子にしようぜ!」
ヒエンが優しい笑顔でハルの顔を覗き込んで言った。

(ウソ?…ヒエンさん…だった…あの笑顔の人……)

突然、視点が歪んで切り替わるのをハルは感じた。
今度は目の前にヒエンの笑顔がある。だがハルには、さっきまでの笑顔とは違って見えた。真っ直ぐに見つめるヒエンの蒼ざめた眼差しは、深い悲しみを湛えていたからだ。
そう、今度は烈風丸の視点だった。ハルはまた烈風丸の意識に戻ったらしい。ヒエンは烈風丸に、優しく願い事を告げる様に言う。
「頼むよ。アタシらの子」
烈風丸の感情素子が張り裂ける音がハルに聞こえた。
(ヒエンさん…ナナシ…ナナシお前は…)
ハルは意識の中で崩れ落ち、音も無く慟哭する。漆黒の闇に包まれて行く烈風丸の感情素子と、自分自身の感情が混ざり合い、ハルの心は押し潰されそうだった。

「…アタシを…一人にするな…」

その時、静寂の闇に包まれていた感情素子に突然声が響いた。
(え?……アタシ?…)
その瞬間、漆黒の闇だった烈風丸の感情素子が眩い桜色に包まれる。ハルはあまりの眩しさに眼を開けていられない。恐る恐る薄目を開けたハルは、目の前の光景に呆然と立ち竦んだ。
それは、ハルの姿だった。
笑顔のハル、怒り心頭のハル、操縦席で暴れるハル。泣き顔のハル…。烈風丸の視点で、時間も場所もばらばらなハルとの記憶が、桜色の感情素子の中に次々と映し出されて視界を埋め尽くしていく。
(……ナナシ……)

すると突然、ハルの全身を激痛が襲った。
全身の自由を奪われ、身体中を黒い触手に締め付けられている。
するとまたハルの声が響き渡った。
『クソタコドスケベ鉄騎!勝手に死んでんじゃねぇっ!』
その声に応える様に、感情素子の真ん中に小さな光が灯された。その光の中から、烈風丸の消え入りそうな声が聞こえてきた。
「ヒエン…頼む!今暫く時間をくれ!」
「…ハルに約束したのだ…生き……」
消えそうな声と同じ様に、その光がだんだん弱くなっていく。
(ナナシっ!)
ハルは意識の中で光に両手を伸ばした。全身に触手が纏わりついて動かない身体を、無理矢理に前進させて光ににじり寄って行く。
「相方の言う事が…きけねぇのかぁぁっ!」
喉が裂けんばかりに叫んだハルが、全身に纏わりついている触手を引き千切った。突然自由になったハルは、つんのめるようになりながら両手でしっかりと光を握りしめる。その途端、光を掴んだハルの両手から凄まじい光の洪水が溢れ出し、視界の全てを覆っていった。

つづく「下天を駆けろ!」第31話

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