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「下天を駆けろ!」第40話(全42話)

「なにこれ何処?」
見渡す限り真っ白な世界で、ハルは途方に暮れていた。上下も左右も全然わからない。視力も聴覚も、あらゆる感覚が役に立たない虚無の空間だった。
「さっきまで真っ暗で、今度は真っ白。ってことは…」
「…もしかして、アタシ死んでる?…」
ハルは自分の両手をまじまじと見て呟いた。
「えー死ぬのはヤバいなぁ。ナナシがマジギレしそうだなぁ」
「アタシ、ナナシに生きろって言ったもんなぁ」
するとハルは、何となく独り言が止まらなくなった。
「そういえばナナシ、あんまし怒った事ないなぁ」
「でも、ドスケベって言ったらちょっと怒ってるよな!『事実無根である!』とか言ってさぁ!はははっ…あれっ?」
突然、ハルの中から熱いものが込み上げてきた。それは止めどなく溢れて流れ落ちては、雫となって虚無の空間に消えていく…。
「ナナシ…ごめん…」
「アタシ、死んだっぽい…」
死ぬのは怖くない。でも、ナナシに会えなくなるのがとても怖かった。
(もう…会えないのかぁ)
ハルは、狭いけど居心地が良いナナシの操縦席が懐かしくて仕方なかった。
ちょっと硬いけど、座り心地は下天一の座席で眠りたかった。
大地を蹴って駆け抜ける、あの振動が恋しかった。
「ナナシ…もう一度会いたい」
ハルは、音のない空間で声を上げて泣いた。

〉〉〉ない…〈〈〈

突然感じた気配に、ハルは反射的に周囲に感覚を広げる。
「アレ?ここ狭い?…」
どうやらこの白い空間はとても狭いらしい。ハルは広げた感覚から、ここが自分がギリギリ収まるほどの広さしかない球体の内部であることを悟った。

〉〉〉ハルカ…死んでない…〈〈〈

それは言葉でも文字でも、ハルの知る限りどの感覚とも違っていた。人の思いがそのまま心に染み込んでくる様な、そんな感じだった。
「誰?」
返事の代わりに、その気配が優しくハルを包み込む。それはとても暖かく、懐かしい温もりだった。ハルの意識は、抱かれている赤ん坊の様に柔らかな充足感に満たされていく。
(コレ…今度こそ死ぬってやつだなぁ…)

〉〉〉ハルカは死なない…外に帰る…〈〈〈

「え?」

〉〉〉あなたは自由…思いのままに…〈〈〈

その瞬間、ハルの目の前に薄紫色の装束を身に纏った、美しい女性が佇んでいる姿がはっきりと見えた。
「あれって、城護り…?」

〉〉〉ハルカ…大きくなった…ね…〈〈〈

女性は優しくハルに微笑んだ。
その刹那、白い空間がどこかに向かって急加速を始めた。女性の姿は消え、ハルの視界は真っ白な空間に戻される。
「…アタシ…知ってる人かも…」
呆然と呟くハルを包んだまま、白い球体は崩壊する漆黒の闇を音もなく突き進んだ。

「来た!」
吊るされたままのハルの体がぴくりと動いた。ハルの足下で待機していた烈風丸は、頭上のハルに意識を集中する。
「すぅ~っ…げほっ!」
ハルが大きく息を吸い込んでむせた。同時にハルの首を掴んだヨシマサの手が緩んでハルが落下する。烈風丸は騎体の位置を瞬時に微調整し、ハルを操縦席で受け止めた。
「イテ~イテテ~っ」
「ハル!無事か?」
間の抜けた悲鳴をあげるハルに烈風丸が叫ぶ。
「ヤッタァ!出られたぁ~!ナナシただいまぁ!」
いつもの調子でハルは元気に答える。
(…無事であった…)
あまりの安堵感で機能停止しそうになった烈風丸だったが、操縦席のハルを唖然と見つめた。
「ハル…何をしている?」
「ナナシだ~ナナシの操縦席だぁ~ナナシの座席だぁ~」
なんとハルは座席に丸くなって寝そべり、背もたれや座面にスリスリと頬擦りしているではないか。
(…大城と繋がって、どこかぶつけたのか?)
「あ!今スッゲー失礼な事考えただろっ!うわっ?」
グウォンッ!
ハルは座席から前に転げ落ちた。突然、烈風丸が急加速で後退する。
ドン!ドン!ドンッ!
烈風丸は、後ろ向きに疾走しながら電霊砲を全門斉射する。ハルに手を伸ばそうとしていたヨシマサは、電霊砲の集中弾をまともに喰らって吹っ飛ばされた。そのまま仰向けに転倒するとゴロゴロと床を転がっていく。
「ナナシ動けんの?電霊霞は?」
ハルは操縦席に転がったままで叫ぶ。
「ミオ・ツーが補給してくれた」
「え?アイツどこ行ってたの?あれ?ばあちゃんとリカは?」
「話は後だ!」
ガシャ!
ヨロイの動く硬い音がした。ハルが視線を向けた先で、ヨシマサの白い城護り鉄騎がゆっくりと立ち上がる。次の瞬間、ハルの視界を白いヨロイが覆った。空気の揺らぎもなく、ヨシマサが烈風丸の目前に仁王立ちしていた。

「ナナシ!ヨロイ!」
ヨシマサの目の前で、桜色の光が爆発した。
「うっ!」
その閃光に、一瞬目が眩んだヨシマサだったが、構わずその光に向かって右の拳を振り下ろした。
ガキッ!!
飛び蹴り一閃!桜色のヨロイが、ヨシマサの正拳突きを矢の如き蹴りで弾き飛ばした。
体制を崩したヨシマサは後ろに下がりながら、自分の感覚が妙に不鮮明になったことに気付いた。身体の動きが鈍い。視覚素子が捉える領域も狭くなっているのだ。
「…接続が!」
ヨシマサは愕然とする。大城とヨシマサを繋いでいた背中の黒い触手が、霞の様に消えていくではないか!
ヨシマサの感覚素子群は、大城との連携が途絶えて自分の五感だけになっていた。大城から無尽蔵に供給されていた電霊霞も途絶えている。
だがそれ以上に、記憶の齟齬がヨシマサを混乱させていた。
(…いつの間に…僕は何時あの女を離した?)
ゴオオオン!
一際大きな振動がして大城が傾いた。ヨシマサは体勢を崩さぬよう両足を踏ん張りながら周囲を見回す。
(なんだ?大城が?…)
崩壊している?瞬きするほどの時間しか経っていないはずだ。なのに目の前の状況が変わり過ぎている…。
「貴様ら!一体なにをしたぁ!!」
ヨシマサはハルと烈風丸に向かって叫んだ。
「え?何も?」
ハルは素っ気なく答える。
「ショキカ…だっけ?それで大城が死ぬって『鍵』が言ってた」
「鍵?キリエが…大城が死ぬ?…ショキカ…?」
ヨシマサは動揺を隠せない。半ば呆然とハルの言葉を繰り返している。
「鍵も消えたよ。大城と一緒に」
ゴオオオンッ!
また大城を振動が襲う。落ちてくる黒い電霊霞の結晶がバラバラと降ってきた。明らかに崩壊が早まっている。
ヒュゴゥッ!
突然、ヨシマサがハルに何かを振り下ろした。刹那、電光石火で反応したハルの超光速前蹴りで、ヨシマサは後ろに吹き飛ばされた。
防御の姿勢のまま飛ばされたヨシマサは、両足で床を削りながら何とか体を止めた。
(あれは?…)
烈風丸は、ゆらりと立つヨシマサの右腕が長く伸びているのに気付いた。その右腕は、肘から先が変形して大太刀となり、殺意を帯びた鈍い光を放っていた。
「なんて事を!なんて事をしてくれたぁ!」
ヨシマサが突然咆哮を放った。
「下天の支配者にして我らヒト族の王!偉大な東國の大殿の大城を壊すとは!許さん!許さんぞぉ!」
ヨシマサは、狂気の色を帯びて血走った目で憑かれたように喚き散らす。
「女ぁ!面白いから僕の『道具』にしてやろうと思ったのに!もう殺す!道具だから壊すっ!バラバラにしてぶち壊してやるぞぉ!」

「道具…だとぉ?」
ハルが聞いたことのない低い声で呟いた。

つづく「下天を駆けろ!」第41話

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