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「下天を駆けろ!」第29話(全42話)

突然、轟音が響いて後方の通路が崩落した。もうもうと上がる煙と落ちてくる破片の中で、黒い塊がよろよろと立ち上がった。
あの漆黒の侍鉄騎が満身創痍の姿でそこに居た。

(え?ココどこ?)
ハルはうろたえた。目の前に、いきなりあの鉄騎が現れたのだ。
それに視界が何か変だ。
常に鉄騎の機体が視野に入って四方を一度に見渡せる。
その鉄騎の傍に、肩で息をしている真っ赤な装束の女が辛そうに凭れかかっているのが見えた。
(そうか!ここは…ナナシの操縦席だ。それに、これはナナシの視点?)
「キリエ…」
黒い侍鉄騎を睨みつけて機人の女が呟いた。その瞬間だった。烈風丸にもたれかかっていた赤い女が消えたのだ。
(えっ?)
「愛してるぜ!烈風丸!」
赤い女は、一瞬で漆黒の侍鉄騎の懐に飛び込こむと叫んだ。
「ヒエンっ!!」
ヒエンと侍鉄騎が閃光に包まれ、 轟音が烈風丸の絶叫をかき消した。
(な、何?)
ハルは突然目の前で起こった惨劇に心が凍りついた。

(え?ウソマジで…あれがヒエンさん?…ヒエンさん…死んじゃった?…)
瞬間、ハルの目の前に様々な記憶が映像や音や文字の渦巻きになって現れ、凄まじい勢いで駆け巡っていく。それらは全てヒエンとの日々…。笑い合い、戦い、常に共にあった幸福で輝いた記憶。そして、この惨劇に至るまでの出来事…。それらがぐるぐると駆け巡り、怒りと悲しみが混ざり合って嵐の様に吹き荒れていく…。(ナナシ…これはナナシの記憶…)
ハルは今、烈風丸の電霊核の中で、自分を媒体にして『前世の記憶』を流し込もうとしていた。だが、それは烈風丸の記憶を追体験することを意味した。ハルは今、烈風丸と同化してその記憶の真っ只中に居るのである。
ありとあらゆる感情が嵐の様に吹き荒れ、烈風丸の感情素子が音を立てて張り裂けていく。ハルは経験したことのない絶望と喪失感に全身を打ち抜かれ、自分の心が砕けそうになるのを必死で耐えていた。

すると突然、烈風丸の操縦席に女が飛び乗ってきた。
風防が閉じると同時に、炎を纏った爆風が烈風丸の騎体を猛烈に弾き飛ばす。狭い通路に騎体をめちゃくちゃに激突させながら、烈風丸達は爆風に押し流されていった。だが、烈風丸は茫然自失で無反応のまま、ただ爆風に身をまかせている。砕け散った彼の感情素子は虚無感に覆われ、全ての素子群が沈黙しようとしていた。
(コイツ…ガチで死ぬ気か?)
ハルが烈風丸に呼びかけようとしたその時、操縦席に赤ん坊の笑い声が響いた。

『烈風丸。この子を守れ』

瞬間、烈風丸の感情素子にヒエンの声が響き渡る。沈黙しようとしていた烈風丸の素子群が一気に臨戦体制に覚醒した。だが、烈風丸の感情素子の裂け目から、怒りと悲しみが止めどなく血の様に滴り落ちていく。それでも烈風丸は、ヒエンの言葉に従おうと爆風の中で足掻く。
「機人…」
水晶玉から、まるで機械のような抑揚の無い声がした。片手で赤子を抱え、座席にしがみついていた女の腰に、帯状の拘束具が伸びて巻き付いた。
「赤子を傷つけること…罷り成らぬ」
体を座席に固定された女は、はしゃいでいるらしい赤ん坊覆い被さる様にして抱え込んだ。
「お任せを!」
烈風丸は騎体に設えた全ての推進機を駆使して姿勢制御を試みる。何とか爆風に乗って移動していたが、脱出する糸口が掴めない。その時、女が落ち着いた口調で言った。
「この通路は城の外周に通じております。この先、一〇〇米程先に外部へ通じる隔壁がございます」
「……」
烈風丸は無言で言葉の是非を問う。
「私、この城の『城憑き』でございます故…城内の構造は熟知しております」
(しろつき?…前に雷電から聞いた事がある。戦の時代の城族には必ず機人の家来が居て、ヒト族の武将と意思疎通してたんだっけ…)
目の前に直角に曲がった通路が迫ってくる。烈風丸は爆風の中で電霊砲を抜き放つと、一点目がけて集中射撃を放った。
ガゴンッ!
迫る壁の一部が吹き飛び、大きな穴が現れた。隔壁が吹き飛んで開いた穴から爆煙が漏れ出していく。烈風丸は勢いのままその穴に飛び込んだ。
爆炎と共に、烈風丸は大城の外に飛び出した。中空に躍り出た瞬間、烈風丸の視覚素子が大城を捉える。そこには、半球の下部構造が崩落した大城が、月明かりに照らされてよろよろと飛んでいくのが見えた。
「衝撃に備えよ」
烈風丸の機械の様な声に、女はまた赤ん坊に覆い被さる様な体制をとった。次の瞬間、猛烈な衝撃が操縦席を襲った。着地した烈風丸の騎体が何度も跳ねながら、河原の後ろにあった森に突っ込んだのだ。女は必死で衝撃に耐えながら赤ん坊を抱えている。その時ハルは気がついた。

(あれ?コレ笑い声?)
女の懐から、愉快そうな笑い声が聞こえているのだ。何と赤ん坊は、今までの烈風丸の激しい動きを楽しんでいたらしく、高揚してきゃーきゃーとはしゃいでいるではないか。
(へ~っ!面白い子じゃん)
だが女は、はしゃぐ赤ん坊に困った様子で話しかけている。
「ハルカ様、少し静かになさいまし」
(…ハルカ?)
何処かで聞き覚えのある名前だとハルが思ったその時、烈風丸が急制動をかけて止まってしまった。だが、同化しているハルにはすぐに何が起きたのか分かった。
(あっ…ナナシお腹が…)
「電霊霞が尽きた」
烈風丸の無機質な声が静かに響く。戦闘で消耗した電霊霞が完全に底をついたのだ。
すると女は、美しい柄の巾着袋を取り出して素早く開くと、中身を水晶玉の方に向けた。
大きく開いた巾着袋から、紫色に光る直径五糎程の玉が三つのぞいていた。
(コレ…電霊霞?)
ハルはこんなに綺麗な紫色の結晶を見た事がなかった。
「電霊霞結晶でございます。お納めください」
だが烈風丸は答えない。すると女の懐で赤ん坊がもぞもぞと動いてぐずりだした。どうやら烈風丸が動かなくなったのが気に入らないらしい。やがて赤ん坊は火がついた様に泣き始めてしまった。
「ハルカ様、どうされましたか?どうか御機嫌を…」
女は赤ん坊をあやそうとするが、ますます泣き声の音量は大きくなっていく。見ているのが気の毒なほど狼狽している女は、烈風丸の水晶玉に懇願する様な視線を向け始めた。
突然、操縦席の左側に開口部が現れた。
「機人、行き先を示せ」
無機質な烈風丸の声が響く。それを聞いた女は、泣き喚く赤ん坊を抱えたまま、巾着袋の結晶を全て開口部に入れた。
ブゥン!
鈍い起動音と共に、烈風丸の鼓動が復活した。途端に赤ん坊の泣き声がピタリと止まる。
「恐れながら…」
女は左手首につけた腕輪を素早く操作する。
すると目の前の空間に、地図らしき画像が展開した。その中の一点が赤く点滅している。
「こちらに」
烈風丸は答える代わりに、後輪を盛大に空転させながら急激に右に舵を切った。
そのまま速度をぐんぐん上げ、森の草木を薙ぎ倒しながら猛烈に進み始めた。

(ナナシ…)
烈風丸は森の中を疾走しながら、崩壊していく感情素子を何とか維持しようとしている。だが一つを治しても、直ぐに別の部分が新たに壊れる…その繰り返しだった。いま烈風丸の心は完全に閉じている。感情と自我を切り離した自閉状態で動いているだけだった。
今、烈風丸の感情素子では、ヒエンを救えなかった無念と悲しみの嵐が吹き荒れている。同化しているハルは、その嵐に揉みくちゃにされながら、ただ泣いているしか術がなかった。
(無理だよ…勝てる訳ない…ナナシの唯一の『愛方』は、ヒエンさんに決まってるじゃん…)
嫉妬も何もある筈がない。これだけの思いと悲しみに晒されて、ハルの心も張り裂けそうだった。

「電霊霞の消耗率と、目的地迄の距離から最適速度を割り出した。結論。所要時間一〇時間六分」
突然、無機質な声が水晶玉から響いて、ハルの意識は現実に引き戻される。
操縦席では、再び走り出した烈風丸の加速に赤ん坊が大はしゃぎしている。手足をバタバタ動かして、すっかり興奮状態だ。
「ハルカ様…」
女は困った様に赤ん坊を抱き直す。そんな事には構わず、赤ん坊はきゃっきゃと笑いながら、突き進む烈風丸の振動を大いに堪能しているらしい。
(へへっ!この子、マジ可愛いっ!)
喪失と無念の嵐に晒されながら、ハルは赤ん坊の笑顔に救われた様な気がした。


~再び二日前・御母堂の庵~
浮かび上がる立体図形を前に、思案していた御母堂がスッと背筋を伸ばした。
そして、あの凛とした声でリカと雷電に告げた。

「ラクザの民を全て伍ノ領に移住させる」
息を呑むリカと雷電に、御母堂はさらに続ける。
そう告げると、御母堂は自ら立体図形を操作し始めた。ラクザの立体図を覆う半透明の幕がゆっくり点滅する。
「元は遺跡だったラクザは、遺跡の秘術『偽装』の加護を受けて幻のクニと言われてきた」
「『擬装』は、外部から全く感知できない防護空間であり敵の攻撃を防ぐ城壁。我らにとって、ラクザの場所が謎であることが最大の防御だったのじゃ」
「場所を特定された今、もう壱ノ領にその優位は無い」
すると地形図が拡大され、壱ノ領の遥か北の位置に『伍』と表示された印が現れる。
「壱ノ領を放棄し、北の伍ノ領に再びラクザを立ち上げる。今度は伍ノ領を完璧に隠すのだ。二度と東國が手出しできぬ様に」
「ラクザは、東國の迫害から下天の輩を守るために作ったクニじゃ。今も多くの下天の輩が救いを求めて集まってくる。何としても守らねばならぬ」

すると、沈黙していた雷電が御母堂に尋ねた。
「しかし御母堂様。伍ノ領はまだ発掘の途中です。それにラクザの民は約一〇〇〇人。どうやって移動を…」
「『総門』を使う」
「…あの庭にあるボロい遺跡?…動くのですか?」
思わずリカが声を上げた。
「実はかなり以前から、伍ノ領の発掘を進めさせていた。併せて総門の調整もな。試験運転も済んでおる」

御母堂は雷電の方を見て尋ねる。
「城狩り衆、いま何騎集まるか?」
「近衛組の五騎の他に、伍ノ領の八騎」
雷電が御母堂に即答した。するとリカも続けて答える。
「マタギ衆一〇騎も元は城狩りです。まだ心得を忘れてはいません」
「よし。その二〇騎あまりをすぐにこのシロヤに集めよ。近衛組は避難開始をラクザの民に伝えるのじゃ」
「御意」
踵を返し、急ぎ退出しようとしたリカと雷電に、御母堂が声をかけた。
「済まぬが…二人には別の頼みがある」

つづく「下天を駆けろ!」第30話

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