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聖書の神と奇跡講座の神は違うのか?

結論から言うと 違います

☆跡講座ではイエスが明言しています。
「神はこの世界を創造しなかった」と。

★かたや聖書では『創世記』で
「神は『・・・在れ』と言われた」と記されています。
つまりこの世界や全ての被造物が神の外側に存在する分離した存在として誕生したことになります。
聖書の神が投影し創造した世界は、物理的な現実となります。

また大きな違いがあるのですが
★聖書の神は、『罪が実在する・原罪』と見ている非常に人格的な存在であり、罪に対して応答せざるをえなくなっています。
それは神の唯一の子である、イエスの受難と犠牲を通して行われます。
磔刑はその象徴として、なんども繰り返し信者に強調されてきました。

☆奇跡講座の神は人格神ではなく、人間的な性質はまったく持っていません。この神は分離『聖書の原罪に相当する』については全く知るよしもなく、それに応答することなどしないし、そもそも知らないことなので、出来ません。

聖書の神は自我を起源としている

つまり、聖書を書いた人たちの自我そのものです。


この世に神は居ない。
ことが、どれほどの幸せかと思うのです。
★もし神がこの世にいるなら、それは《現実であり真実です》それを変えることは不可能でしょう。
なぜなら、絶対存在である神が創造した苦しみや悲しみが実在しているから。
人はそれを覆すことは不可能。

☆しかし、この世が神によって創造されておらずに、自我というたんなる気の迷いが作った幻なら。
どれほどに希望が湧いてくるでしょうか?
なぜなら、それから目覚めることが可能だから。

それは一人では出来ない。
自我を信じているわたしの信念だけで、目覚めることは出来ない。
すでに目覚めているイエスの手助けが必要。
その目覚め方を教えてくれるのが、イエス・精霊なのです。




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