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いまは亡き人との思い出

よくある話で、両親がきらいで亡くしてからも思い出せませんでした。
「どんな顔していたかなー」と思うくらい。

また当時は自分のことが信じられなくて、なので他人も信用できないという。

あるとき私自身、ここに住んでいていいのか?安心できる場所がほしいと強くおもうことがありました。

そんなときにたまたま知り合った人の身内から、土地を紹介され即決しました。
まとまったお金も渡して、「さぁこれでここで定住できるぞ」と一安心したのも、つかの間。
翌日知り合った人から【それは詐欺です】の宣告が!

それを聞いてあわてて、お金を取り戻そうと連絡しても時すでに遅し。
その人は、借金返済に払ってしまい手元に残っていないというのです。

それから善意の知人と1ヶ月、奮闘してなんとか回収に成功!
今となってはあまりにも失礼な礼金を渡して一件落着としました。

信じた人が詐欺師であっても良かった

1ヶ月泣きそうな思いで走り回ったのですが、一つ得るものがありました。
それは他人を信用した自分が見つかったからです。
だまされたにしても、信用できた私自身がとても好きになりました。
私にもそういう心があったんだと、安心できました。
「これからは私を信用できる」と確信がめばえました。
という事件のあと、両親の顔がすなおに胸にうかぶようになったのです。
それも【笑顔の両親】がうかびます。

わたしたちの肉体は幻です。
こころのみ実在します。
ですから肉体が滅びても、こころは通じ合っています。
逆に亡くなってからのほうが、すなおに謝れることが出来たり、言葉の真意がわかってくるかもしれない。

私のソウルフルセラピーも直接会わなくとも、初めての人でも《手書きのお名前》というルートで通じ合うことが出来ますから。

また心は時間・空間をこえたところに実在しているから、肉体の有無、亡くなってからの時間はかんけいないです。

おもったその瞬間に、亡くなっている愛しいひとと繋がります。
なぜこんな話しになったかというと、このニュースです。

宇多田は8月22日に自身のXを更新。藤さんの自死から10年で学んだことをつづっていた。 《人が亡くなっても、その人との関係はそこで終わらない。自分との対話を続けていれば、故人との関係も変化し続ける》

女性自身
山口百恵さん 高まる宇多田ヒカルと“邂逅”の機運…“家族ぐるみ”交流の前川清が計画


このコメントを読んで、そう言えば私もそうだったと思い出したからです。

宇多田ヒカルさんがどんな対話をされてきたのか、わからないですが肉体を超えた交流を続けてこられたのだろうと思います。

ご覧のみなさんにも亡くなった人に対して、おもうこと、つたえたいこと、お詫びしたいこと、感謝したいことなど沢山あるかたもおられるでしょう。

そういう橋渡しな役割にもたてるのかなと思っています。

あなたを通して、あなたの知り合いや友人、気になる人のことも見えてきます。

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