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仏教の教え

因果応報:

  • 仏教の教えに基づく概念で、行った行為や思考の結果として、良いか悪いかでなくて、それに応じた報いが返ってくるという考え方です。

  • 「原因と結果の報い」という意味になります。

  • 良いこと⇒よい結果が戻る

  • 悪いこと⇒わるいことが起こる

ということですね。

さて奇跡講座ではこういってます。

外的な現実と心の成長の関係:
外的な現実(物質的な成功、他者からの評価など)と心の成長や平和は、直接的に関連していません。
つまり、金持ちになったとか他者から評価されても、心が平和であるとは限らないということです。

善行と報い: 善行を積むと、必ずしも物質的な報いや他者からの評価が得られません。しかし、善行を通じて心の平和や喜びを感じることは可能です。

仏教はこの世では善い人でありなさい。そうすると仏様になれますよ。といいます。
それは具体的には「寄付をせよ」にも通じることです。
「一日一善」とか昔、よくききました。

奇跡講座の教え

奇跡講座は「この世で具体的なアドバイスはしません。それは幻だからです。幻のなかであなたが経験したことを、精霊・イエスとともに見て『かれがしていないこと』を赦しなさい。」と言います。
つまり、この世ではなにか実際におこっているように見えることも、真実の見方をしたら、おこっていないのです。
起こっていない事柄に、イライラ、腹を立てるのはおかしい、と気づくことが赦しになります。

といって、他者からあなたに暴力・暴行を受けたり、うけそうになったときに《なにもせずにいなさい》とも言いません。
そのつど適切に対処したらいいのです。
逃げるなり、防御してOK。
それは、この世で清貧、貧しく美しくあれというのでもありません。

この世での差異、違いそのものに一喜一憂するのでなく、常にこころをコントロールすることを意識する。
イラッとしたり、傷うけられたと被害者意識が強くなったときこそ、考え直すチャンスです。

この世を精霊のためにチェンジする

この世のできごとを自我が張り切るためでなく、精霊とともにみることで精霊の教室と変えることができるのです。
自我のためでなく、精霊のために。
争いのためでなく、平安のために。
傷つけあうのでなく、理解しあうために。

この世をつかうことが出来るのです。

マザー・テレサさんも、このような言葉を使っておられたと思い出しました。


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