スピリチュアルのリ
と2本の記事をかいてきましたが、とくにピで書いた
内心が落ち着いていると、世界も落ち着いてみえる
こころが落ち着いたほうが、日々へいわに過ごせる
自分の感受性によって、世界がちがって見える
人それぞれ、ちがう世界を見ている
ちがう世界をみているから、意見がちがってくる
意見がちがうから、あらそいになってしまう
あらそうと身体も感情も傷ついてしまう
すると、スピリチュアルより物質が大事に思えてくる
内面のこころを忘れてしまう・・・・
この流れは、たいせつだなと感じています。
自分のこころの状態で、他の人の言動や世の中のできごとに対して思うことが違ってくるんですね。
あとポイントとして
自分の感じ方をかえることだけ出来る。があります。
相手の感じ方を変えさせることは出来ないから。
しかし、もともと私達はひとつから発生したこころです。
自分が変われば回り回って、相手も変わるときがくるということ。
相手がいつ変わるか?はだれにも分からない
これも大事です。
相手の感じ方を変えさせることを目的に、自分が変わってもダメ。
自分がこの世への見方・かんがえ方を変えることをする。
相手には相手のとりくむこと、タイミングがあるからです。
でも、話し相手がわたしの一言で急に変わっていくのを見たこともあるでしょう。
それも相手が相手のタイミングでそうなったと、解釈することです。
わたしの仕事で整体・施術をしているときに、身体の痛みやつらさがその場でかわることはよくあります。 というか、その場で変化してくれないと仕事にならないのですが。
それでも、その相手のこころの変化は外からは見えません。その人自身のこころを素直に見つめないと分からないのです。
身体の変化とこころの変化は、同時でもない。
こころの変化は外からは見えない。
自分でもこころがどこまで、変化して成長したのかは分からないのです。
自分が世界に対して、他の人の行為行動にたいして、どこまでおだやかな心境でいられるのか?
そのおだやかな心境がつづいていくのか?
自分はなにを望むのか?
おだやかな毎日か?険しい毎日なのか? このどちらを選ぶのか?
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