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BOB MARLEY『ONE LOVE』超私的考察ポイント

公開から、2週目を迎えて様々な感想が耳に入るようになりました。

予想以上にネガティブな感想が多いことに戸惑いを隠せない…。
”主役が、カッコ良すぎて感情移入できない。”
”どの部分も核心に触れていないので、物足りない。
”伝記映画なの?なぜこの時期にフォーカスされた内容⁇”
”ボヘミアン・ラプソディには到底及ばない”
等のコメントが寄せられていることを確認しました。

4つの重要なポイントをまとめた上で、考察してみました。

①この映画が、なぜこの時期1976年〜77年頃の時期に焦点をあてられているのか?
➡️1977年は、ラスタファリズムを信仰する者にとって非常に重要な年であるということ。
「7と7がぶつかる(『Two Sevens Clash』)時、つまりは77年の7月7日に、この世の破滅が訪れる」…というマーカス・ガーヴェイの予言に基づいている。

Culture/Two Sevens Clash

そして、実際に不穏な出来事が起こる。
1976年12月15日に行われる総選挙に伴い、時の首相マイケル・マンリーに「スマイル・ジャマイカ」という無料コンサートへの出演を打診され、了承する。開催2日前に、数名の武装した男たちに家を襲撃される。

銃弾はボブ・マーリーの心臓の下、胸骨をかすめ、左腕にはその銃弾が残った。
銃弾は彼の妻リタの頭蓋骨をかすめたが、彼女は奇跡的に負傷せず、一方、ボブ・マーリーのマネージャー、ドン・テイラーは下半身に5発の銃弾を浴びることになった。

結局、『スマイル・ジャマイカ・コンサート』は、その2日後、12月5日にキングストンのナショナル・ヒーローズ・パークで実施された。
銃弾を自身の腕にのこしつつ、彼とザ・ウェイラーズは8万人のファンを前に90分に及ぶパフォーマンスを実施し、その翌朝、ボブ・マーリーはジャマイカを飛び立ち、数年自身のホームランドに帰ることはなかった。1976年に、フリー・コンサートの開催に伴い政治的な対立構造に巻き込まれ銃撃される。フリー・コンサートを終えてすぐにジャマイカから逃れロンドン亡命する。

映画でも取り上げられていた『War』を演奏する実際の映像がこちら。⬇️


②なぜ、ロンドンへ?この時期には、どんなことが起きていたのか?
➡️ロンドン行きを薦めたのは、「アイランドレコード」のクリス・ブラックウェル。

クリス・ブラックウェル

彼は、ザ・ウェイラーズの世界進出はもちろん、レゲエやスカ等ジャマイカの音楽を世界なかに知らしめる重要な役割を果たした。
また、TRAFFICや、ロバート・パーマー、グレース・ジョーンズ等のロック、ソウル等の作品もリリースしている。

1977年2月、ボブ・マーリーとザ・ウェイラーズはロンドンに集まり、新作『Exodus』 の制作に取り掛かる。

当時のロンドンは、パンクの台頭により、音楽的にも文化的にも大変動の真っただ中にあった。

ボブは、パンクの音楽的な要素よりも、社会の中でアウトサイダーの視点に共感していた。

ザ・クラッシュは、デビュー・アルバムにジュニア・マーヴィンの「Police And Thieves(邦題:ポリスとコソ泥)」をカバーし話題を呼んだ。

ボブは「Punky Reggae Party」を作曲、楽曲内に、ゲストを羅列することで、(パンクへの)忠義を十分に明確なものとした。

『Punky Reggae Party』

③1977年に制作、リリースされた作品『EXODUS(エクソダス)』の持つ意味は?

『Exodus』は、イギリスに亡命中に作られたアルバムで、「Exodus」というタイトルは「脱出」という意味。(アイランド・レーベルでの6作目)

『EXODUS(エクソダス)』


1977年というラスタファリズムを信仰する者にとって、非常に重要な意味を持つ年に、リリースするというボブ自身にとっても、サウンド的にも、メッセージ出来にもこれまでとは違う作品にしたいと意気込みが強く感じられた。

映画の中でも、新しいサウンド作りに悩むシーンや、ラスタに関する本を読むシーンが描かれていましたね。

1977年6月3日に発売されたこのアルバムは、タイム誌が、「20世紀最高の音楽アルバム」と評した『Exodus』の根底にあるのは、何もかもうまくいくという希望と、そうならないと思えてくる不安との間の葛藤だ。

表題曲「エクソダス(Exodus)」では、スライム・ダンバーが開発したと言われる”ステッパーズ”と呼ばれるにはリズムトラック(レゲエ界ではリディムと呼ぶ)が使用されている。
新しいリディムを取り入れようとするシーンが、劇中にも描かれてましたね。
このリディムな特徴は、バスドラムは4拍すべてに固いビートを加える。ここでは、彼の異例のハイハットの3連のリズムを絡めている。ステッパーズビートは、1970年代後期と1980年代初めのイギリスの2トーンスカやレゲエのバンドで好んで演奏された。

この作品は、A面とB面(リリース当時はLP)でテーマが違うように感じられる。
A面の5曲は、それまでの彼に見られたような戦う闘士としての彼の姿が描かれ、ラスタファリアンとして汚れた社会を変えたいという社会的なメッセージを持った曲が収められている。
B面の5曲は、「愛」と「平和」といったポジティブなメッセージを私的体験から描いた曲が多い。(7曲目の「Waiting InVain」や8曲目の「Turn Your LightsDown Low」他)


また、映画の劇中にも登場したアルバム・カバーを手掛けたNeville Garrick(ネヴィル・ギャリック)についても触れておかなければならない。

ボブ・マーリーのキャリアにおいて、非常に重要な役割を担ったことは間違いない。
前作『Rastaman Vibration』のアルバム・ジャケット以外にも、ジャマイカの黒人民族主義指導者だったマーカス・ガーベイとラスタファリ運動の救世主と言われていたエチオピア帝国の皇帝、ハイレ・セラシエ1世を描いた、有名なボブ・マーリーのステージ背景幕のデザインも手掛けている。

1974年から1981年にボブ・マーリーが亡くなるまでの7年間、ネヴィル・ギャリックはボブ・マーリーの物語に欠かせない存在であり、彼を国際的なスーパースターへと押し上げた裏方チームの中心人物でもあった。

④ラスタファリズムについて?
映画の中で、はっきりとボブは断言している。
『ジャーのメッセージを伝えることがすべて。音楽は手段に過ぎない』

そう、ボブ・マーリーは、ラスタファリズムを信仰し、メッセージを伝えるために音楽を演奏しているということをあらためて認識する必要がある。

ということで、基礎情報を簡単にまとめてみました。

ラスタファリズムとは?――
人解放運動の礎を築いたとされるジャマイカの国民的英雄、マーカス・ガーヴェイが中心となった活動・思想。

マーカス・ガーヴェイ

1930年に第111代目のエチオピア皇帝の座に即位したハイレ・セラシエ(ラス・タファリ・マコーネン)を崇め、アフリカ回帰を願うジャマイカ特有の思想/運動のこと。

ハイレ・セラシエ1世

旧約聖書を聖典としてはいるが、特定の教祖や開祖は居らず、教義も成文化されていない。

1930年に、マーカス・ガーヴェイの「アフリカを見よ。黒人の王が現れて、救世主になるだろう」という預言に導かれたかのように、アフリカのエチオピア帝国最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世が誕生し、ジャー(現人神)とした。

名称はハイレ・セラシエの即位以前の名前ラス・タファリ・マコンネン(アムハラ語で『タファリ侯マコンネン』の意)に由来する。

ラスタファリ運動には一握りのエリートによって支配され、社会的に抑圧されたジャマイカ市民による抵抗運動としてのメシア主義と、現実逃避的な千年王国思想の両面が垣間見える。

アフリカ回帰の影響下で、その指向は、ラスタの生活様式全般、例えば菜食主義やドレッドロックス、ガンジャを聖なるものとして見ることなどに現れている。

1970年代にレゲエ音楽や、とりわけジャマイカ生まれのシンガーソングライター、ボブ・マーリーによって全世界に波及する。全世界に100万人のラスタファリ運動の実践者がいると言われる。

ドレッド・ロックスや(いわゆる)ラスタ・カラーといったレゲエ・アイコンもラスタファリズムの思想に基づいたものなのです。

参考文献①
参考文献②
参考文献

以上4点のことを理解した上で、『ONE LOVE』を観ることで、まったく違う感想になると思います。

私自身もそうでしたが、あらためてボブ・マーリーについて再認識することができた素晴らしい作品ですので、ぜひ多くの方に観て欲しいと思っております。

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