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三輪そうめん→小豆島そうめん→島原そうめん

夏休みは毎日そうめん

子どもの時はまたそうめんか〜と嫌な顔をしたものでした。
この話題は島原の子どもたちのなかではあるあるで、お素麺とお蜜柑はいただくもので、いつもたくさん家にあったことを覚えてます。いま考えたら、毎日食事を用意してくれた母の労力といただくからには両親がお返しをしていたと思いますので、重ね重ねありがたいことです。

また素麺流しも夏の風物詩で、湧水豊かな地域で冷たい水の中で流れるそうめんを家族で掬って食べたあの時。唐揚げやニジマスの塩焼き、おにぎり!蝉の声に水の音。今でもかけがえのない思い出です。

東京で初めてそうめんを買ってたべたとき
おいしくない。。。とびっくり。。。
当たり前に食べてた島原そうめんは、美味しい素麺だったことに気づきます。(そうめんもだけど水も関係してたのかも)

お伊勢参りと三輪そうめん

諸説ありますが、お伊勢参りの道中で三輪そうめんの虜になった方々が小豆島でそうめんをつくり小豆島そうめんが生まれ、小豆島の方が島原へ移住して島原にそうめんが伝わったとのいわれがあります。

島原の乱のあと、国の移住計画もあり、とくに小豆島から家の次男・三男が中心に約30軒の世帯が島原の移住されました。今も島原半島には小豆島出身の方のお墓が多数あります。

島原から船でお伊勢参りに行く途中、小豆島の沖を航海します。その際、自分達の田舎である小豆島の地(現 田浦の墓地)に松を植え、船から郷愁の想いに馳せたと聞きます。Ari'z Bar~小豆島さんのブログより)

そう考えると、お伊勢参りがどれだけ身近で、異なる文化が伝わる大切なイベントだったのだとあらためて感じます。

そうめんのまち南島原

島原半島の南島原はそうめんのまち、雲仙の豊かな水の恵みをいただいて、300件以上の生産者の方々が切磋琢磨されています。
南島原のデジタルクリエイトが本当に美しくユニークで、全国的に知名度が上がっていることをいつも惚れ惚れとしてみています。

そうめんの画像が魅力的だったので、思わず書いてしまったそうめん記事。読んでいただいてありがとうございました。

数日前から香川県に滞在してます。明後日は初めての小豆島訪問。
島原に生まれ育った私ですので、小豆島との繋がりをめいっぱい感じてみようとおもいます。

いざ小豆島へ〜

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