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尾崎豊という幻

なんでも揃ってなんでも手に入るこの時代に

 昔は何もない時代と言われた。お金もなくて物もなくて、人々が寄り添い、そして村を作り、隣人同士で助け合い、同じ災害に会いそして同じ未来を夢見て、そして、洗濯機がやってきて時間を作り、冷蔵庫が食卓を変え、テレビが家に歌やドラマを連れてやってきた。

 そんな時代を僕は知らない。僕が生まれた時はすでに冷蔵庫もあれば、毎日毎日温かいご飯が食卓に上がり、テレビでは野球中継が流れ、ビール片手に選手交代が悪いだの、そこは打てよと叱咤激励が繰り返されていた。

 段々と隣に住んでいるアパートの住人が誰なのかわからなくなり、調味料が足りなくなってもコンビニに行けば売っていて、晩ご飯には何が食べたいと聞かれても、食べたいものは特に思い付かず、なんとなく御馳走を口にして、なんとも退屈なテレビを眺めながら、YouTubeを見ながら明日が来ないなんて事も考えた事もなく、そして温かい部屋で温かい布団に潜り込む。

人と触れ合えない時代に

 100年と言われる永遠の果てに、目の前には疫病が広がり、いつでも会えた誰もにも会えなくなり、一緒に笑って語りあって交流を深めることさえもできなくなった。かと言ってそれ程に人に合っていたかと言うと、仕事付き合いや近しい人と近しい空間であっていた程度で人との繋がりなんてそれ程考えていた事もない。ただ、ラジオやインターネット、音楽を通じて同じように考える人、同じようなものを追い求める人、自分の居場所に限りなく似た場所にいる誰かと繋がっていたいと常々に求めていた。

 そんな日常に非日常がおとづれて、これが日常となった今は、常識だった価値観や行動が全てひっくり返され、今また何も求めて、何をするために日々暮らしていけばいいのか、人々は何を達成するためにこの時間を過ごせばいいのか見失い始めている。

ラジオを聴きながら永遠に思えた夜を過ごして

 学校が終わり家に帰り、ひとり自分の部屋で明日なんて日が来てまた学校へ行くまでの、とてつもなく長くて孤独な時間に、この先はいったいどんな時間が流れるのか、どんな人と時間を過ごすのか、自分はいったいどんなことをしながら時間を浪費していくのか、誰が自分に関心を示してくれるのか、その関心は肯定なのか否定なのか、その先にはどんな自分がどんな気持ちで過ごしているのか。ラジオの向こうでは何も答えてはくれない。ただ、同じように時間を共に過ごしてくれるだけだ。でも、そんな共有している時間と空間がとても大切なものだった。

 自由になりたいと思いながらも自由って一体なんなのか、学校にも行かず、働きもせず、食べる事もせずに笑う事もしないことが自由なのか。愛っていったいなんなのだ。好きな異性に一方的に好意を示して、独占し、占領し、何もかもをさせて、泣かせることが愛なのか。そうやって何もしないままに時間だけが過ぎていく。これが自由な時間なのか。授業時間に縛られもせず、働きもせず、何をする事も強要されない、何をしてもいいこの時間が自由なのか。とてつもなく孤独な時間が過ぎていく。

守るべきものはあるのか

 用意された暖かい部屋で、養ってもらいながら暖かい食事をいただいて、好きなように時間を消費して、この時間と空間を必死に与えてくれた存在には感謝という恩を感じないまま、守るべきものなんて何もなくて、自分自身という存在だけが無意味に存在する、ものすごく幼い時間を過ごし、夢を実現するために何をすればいいのか、夢って叶うものなのか、叶えなければいけないものなのか、そもそも夢っていったいなんなのか。やりたい事はあっても、何を捨ててでも守らなければいけないものなんて何ひとつ持ってもいなかった。それから少しずつ時間が過ぎて、大切な人が目の前に現れて、大切な仲間も増えて、大切な人たちが自分に向かって微笑みかけてくれる。この人たちに僕も笑い返さなければいけない。笑えるために笑って挨拶ができるように、少しづつ守らなければいけないものが僕にもできてきた。

小さな笑顔を小さなやりがいを守るために

 学生時代から満員電車が嫌いだった。人と触れ合い笑い合うことは好きではないが、不機嫌な顔をしてつまらなそうに、幸せなんてもののかけらさえも無いような、そんな顔で電車に揺られている人々の顔を見るのが嫌いだった。世の不幸が全てここに集まっているようなあの時間と空間が嫌いだった。きっと彼らにも家に帰れば大切な可愛いお子さんがいるのだろう。大切な趣味のゴルフクラブが並んでいるかもしれない。風呂上がりに飲む最近手に入れたとっておきの地ビールが待っているかもしれない。けれどそんな彼らの顔には無愛想で、この満員電車にいつまで揺られていなければいけないのだろう。いつまでこの苦痛の時間を過ごさなけれないけないのか、そして楽しくも無いあの事務所のドアを開けて、楽しくも無い社交辞令に引きつった笑顔を見せなければいけないのか。そんなみんなの不幸がそこには充満している。

そろそろ答え合わせを始める年齢なのかもしれない

 僕が幼少期に勇気と夢と背中を押してくれたのは松山千春だった。そしてその大きな愛と夢に包まれて過ごしながらも、現実の世界には、とても理解できない理不尽が蔓延して、正しいと思うことは口にはしてなならない、正しいと思うことはしてはいけない。そして言いたくも無い言葉を望まれるように話さなければいけない。そんな現実を前に、尾崎豊の歌が僕に僕の仕舞い込んでいた気持ちをそのまま言葉にしてくれた。

 それから長い年月を過ごして、いろんな糸に出会い、いろんな屈辱を受けて、いろんな優しさに包まれて、そしてもう一度今、松山千春の大きな優しさに包まれている。そんな松山千春も北海道の田舎から旅立ち、そして45年の時をこえて、父となり還暦を過ぎ、ご本人自身、僕らファンに向けて、45年間の答え合わせを始めてくれている。初期の曲を今のご本人が弾き語りで歌ってみたり、今の立場から思う愛や夢を語り、幸せや不幸せ、小さな小さな幸せについて歌っている。僕も今その解答用紙を手にして、自分自身の答え合わせを始めようとしている。

自由っていったいなんなのだ

 尾崎豊が問いかけた、自由っていったいなんだ、どうすりゃ自由になるかい、自由って一体なんだ、君は思うように生きているかい。君の怖がっているギリギリの暮らしならなんとか見つかるはずさ。そんな歌が今でも耳の奥で鳴り響いている。

  夜中にひっそりと空を見上げて、あぁあんな時もあったな。今でもたまに、暗闇にポツンとひかる100円玉で買える温もりを握り締めながら夜に向かって歌い出す時もある。

 いまもし君がまだ生きていたならば、どんな答え合わせをしてくれたんだろう。君の意思を継いだ若者もいま君のうたを歌っている。けれど君がいまこの疫病の世界の中でどんな歌を歌っていたのか聞かせて欲しい。あの時よりももっと孤独に夜を過ごしている若者も多いと思う。そんな時に50を超えた尾崎豊、君はなんと語りかけるだろう。君は僕にどんな答え合わせをしてくれるのだろう。

 それでも僕の周りには様々な素敵な人々がいてくれる。ありがたいことにいてくれる。君にもらったいろんなものを、僕はこれから誰かに伝えていく。それが君が僕に語りかけた、僕の答え合わせなのかもしれない。

僕が弾き語った尾崎豊のシェリー
ヘタクソの拙い動画ですがよかったらみてやってください


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