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誇り高き貧乏魂

くよくよするのはもうやめさ今日は昨日をこえている

 松山千春といえば態度がデカくて、言葉遣いが悪い。そんな印象を持っている人が多いと思う。しかし、知れば知るほどに、受けた恩を忘れず大切に、義理人情が熱く何十年経ってもその思いが変わらない人。そんな印象がある。多分彼の根底にはコンプレックスが根差しているんだとおやぢになった僕は思うようになって来た。
 インターネットがどんどん普及して、当時の昔の話しやコンサートで語った言葉がブログやYoutubeで見れるようになり、僕も大人になり少しは人の気持ちがわかるようになり、最近そう思えるようになった。なんて言ったってそんな僕がコンプレックスの塊だからそう思える。

良生さんは足が長くアタシはブスで

 松山千春の歌の中で「良生(よしたか)ちゃんとポプラ並木」という歌がある。「良生ちゃんは足が長く僕はいつでも小走りだ」「良生ちゃんは正義の味方僕は悪役切られ役」「良生ちゃんはスケート選手僕は補欠のまた補欠」「あれからすでに十年過ぎて良生ちゃんは結婚をして、風の便りに聞いた話じゃ男の子が生まれたそうだ」「いつも僕らを見守るようにポプラ並木は 背伸び背伸び」松山千春が背伸びをしていたのか、ポプラ並木がいつも大きく大きくまるで良生さんだったのだろうか。
 歌とえば世間一般の歌謡曲や当時の流行だったグループサウンズしか知らない松山千春に姉の絵里子さんと、同じ足寄町に住む幼なじみ良生さんが、フォークソングというものを教えてくれたんだそうだ。そして貧乏だった松山千春は良生さんの家で良生さんの兄さんのギターを借りて、またそこで教えてもらった岡林信康を、良生さんにギターを教えてもらいながら必死にコピーし歌っていた。歌い手松山千春が誕生するきっかけはこの良生さんから始まっていたんだそうだ。そんな恩も今でも忘れずに、今でもラジオで歌い手、松山千春を語る時にこの話をされています。

あたいちっとも美人じゃない鼻も低い方どちらかといえばブス

 松山千春のうたでこの様な歌詞の歌がある。コンサートではステージの上から観客席に向かって「そこの黄色いシャツ着た、そう、お前、そこのブス」とか「左のお前、笑ってるけど、お前もだぞ」なんていうお決まりのやりとりがある。さすがに今のご時世ではどうなの?とも思える。先日地元STVラジオでのデビュー45周年番組でもパーソナリティのデビュー前の千春さんを知る先輩から「今は言えない言葉がある。千春君は喋れなくなるよね」なんて冗談を言われた。
 千春さんの言葉を借りれば「美人に生まれたばかりに悪い男に捕まって不幸な人生を送るかもしれない。ブスに生まれたことでいい人と出会い幸せに暮らすかもしれない」「知らない人に向かってブス。なんて言ったら問題になる。けれどこうやってコンサートに来てくれる人は多少なりとも松山千春に興味があったり好きでいてくれる人だ。仲良しにはブスとか言えるだろ?俺の愛情表現だ」みたいな事を語っている。

わたしの瞳を涙が溢れて

 言葉が悪くて誤解も多い。けれど彼の中には決して自分を擁護したり他人を傷つけ様とする発言はない。最初に語った様に彼はコンプレックスともうひとつ恥ずかしがり屋さんの様だ。松山千春の初期の恋愛の歌の歌詞は「わたし」で女性が語る歌詞です。彼自身の発言で「自分の言葉で俺が、お前を好きだ。悲しいよ。寂しいよ。なんて歌うのは恥ずかしいじゃん。だから女性の言葉にして歌っている」と述べている。デビュー曲である旅立ちでは「あなたの旅立ちだもの泣いたりしない」と歌うが、これは田舎の足寄町から高校を卒業すると皆が都会へ旅たっていく。町からまた人が消えていく。そんな寂しさを歌った歌である。そんな寂しさや切なさを、女性言葉で歌ってみたり、人前でぶっきらぼうに話してしまうのも、強がって見せる彼の本音なのかもしれない。

田舎で育って田舎で生き続ける

 彼の父の職業は政治色の強いご自身一人で発行していることがローカル新聞であった。そして家庭を守るために彼の母は土方作業員として働き殆ど家にはいなかった。そして生まれてすぐに大病を患い、遠く離れた札幌の病院に入院して、プライドの高いご両親が頭を下げこの治療費を借金して回ったそうだ。今ではこの土方作業員という言葉さえも使えないのかもしれないが、そんな家庭で育った初山千春は小さな事にも心を動かされ、大切なものを大切なものと大切にしながら、人から受けた恩や義理は裏切らない人柄に育った。そして北海道を自然を大切にデビュー直後からずっと北海道を舞台に活動し今でも北海道で暮らしている。

人は皆誰も一人きりさそれぞれの道を夢の旅人

 こんな事を書いている僕も、大人になり彼が伝えたかった事、今でも歌い続けている事、これからも歌い続ける姿勢。そんなものも僕が僕自身の人生で得たもの、失ったもの、大切しているもの、決して失いたくないもの。そんなものと松山千春の世界が時代をこえてまたクロスしているこの瞬間。
 これまで子供がうまれる。とか、誰かが年老いていく。そういう事にはあまり心を動かされなかった僕でも、最近はそんなちっぽけな事に心を揺さぶられ、感動し涙する。そう、松山千春が伝えたかった事。すこやかに、穏やかに、平々凡々と。いつまでもずっと夢の中。そう、小さい頃になりたかった夢を今生きている、夢の途中なんだと。

千春さんがうまれる子供への気持ちを歌った歌
生命(いのち)を弾き語ってみました


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