意味のないダメだし
『こんな自分ではだめだ…』
『あんな風にならないと自分は認められない…』
『あんな素晴らしい人にならないと…』
『もっといい自分にならないと…』
『ダメなとこをひとつでも無くさないと…』
自分の存在を認めたうえでの建設的なダメ出しではなくて、自分の存在をジャッジするダメだし。
たぶん多くの人が、他の誰かによりも自分のそんな声に苦しめられたり、葛藤したりしてる。
OSHO禅タロットの【罪悪感】というカードは
そんな状態の本質を表現してある。
このカードのOSHOの講和はこんな言葉から始まってる。
認められるためには、愛されるためには、豊かさを得るためには、しあわせになるためには……
こんな自分ではダメだという罪の意識や重荷。
だからといって今のままでいい(変化しなくてもいい)って意味ではない。生きるってことは常に変化していくことだから。
罪の意識や重荷で動けず囚われていることも、
怠惰で意識がねむったような状態でいることも、どちらも生き生きと生きてるとはいえない。
ぢゃあ、
何かになろうとするのではなく、今のままでいいと怠惰なエネルギーでいようとするのでもなく、生き生きと生きてくには
今ここにいて今を純粋に楽しみながら先を見通していく
ってことが核なんだとおもう。
それは野心をもっていると絶対にできないこと。野心は不足感を同時にもって、意識が前のめりになり、今ここにはいれなくなるから。
しっかり決断して『なる・在る』って覚悟をもってる状態とも180度違う。
創造性・クリエイティブは愛。
自分を認めれなかったり蔑んでいたり罪悪感をもっていたり…っと、欠乏しているとおもってる状態では創造性は発揮されない。
失敗や罪がなく、立派な人間でないと豊かにいきれないなら、それは愛でなく呪い。
立派な人格者ぢゃなくていい、
かっこよくなくなっていい、
不出来で未熟であっていい、
評価されたり認められなくても
自分のしていることを楽しみながら、
充実させていく。
そのエネルギーはまさに愛で、創造的でクリエイティブなもの。
何とも戦ってないからこそ、無敵で、真の強さなんだとおもう。
そんなことを再確認してる12月初日。
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