秋信守コラム② インディアンズ時代の同僚と
スプリングキャンプが終盤となったある日のことです。インディアンズ時代に苦楽を共にしたG rady Sizemoreから連絡が来ました。
「元気かい?」と
近いうちにTravis Hafnerと会って食事をしましょうということでした。断る理由なんてありません。サイズモアはもちろんのことハフナーと最後に会ったのはずいぶん前のことです。
約束の日が近づくにつれ、小学生の頃に遠足に行くときのようなワクワク感がありました。
ハフナーは2003年から12年までCLEとNYYで活躍しました。現在はCLEで特別補佐役を務めているようです。
サイズモアもまたCLEで最高の全盛期を過ごした選手です。
2015年の8/16、サイズモアがTBでプレーしていた時にテキサスの遠征に来ていました。
途中交代から打席に立った時、サイズモアの登場曲を予め準備してほしいと球団に頼んだことがあります。そのシリーズがサイズモアと会った最後の機会でした。
アリゾナ フェニックスのステーキハウスで2人は私よりも早く来ていました。
*久しぶりに再開したハフナー サイズモア 秋信守
2人の存在感が大きかった
マイナーからメジャーに上がった頃のSEA時代は一人ぼっちでした。誰も声をかけてくれなかったんですよ。そんな時2006年7月CLEにトレードされました。クラブハウスにC.Cサバシア クリフ・リー ビクター・マルティネス サイズモア ジョニー・ペラルタ トラビス・ハフナーなどこれまでTVでしか見れなかった選手ばかりがいました。
当時、私にとって最も影響を与えてくれた選手こそハフナーとサイズモアの2人でした。
彼らは私にメジャーリーガーとして生き残る為の方法を教えてくれました。
ハフナーは打撃理論を サイズモアはプレーでの調子が良い時と悪い時のルーティーンを維持する方法を教えてくれました。
ハフナーが2007年に4年5700万ドルで契約延長を結んだ後にホームパーティを開いたことがあります。妻と一緒に招待されました。
ハフナーの家はとても綺麗で家族みんな幸せそうでした。妻がハフナーの家を出てからボソッと言った言葉を今も忘れることができません。
「私達はいつになればああいう大きな家に暮らすことができるのだろう」と
*秋信守とハフナー
サイズモアは当時MLBの中でも最高の打者でした。3年連続でオールスター出場、2年連続ゴールドグラブ賞にシルバースラッガー賞と天才的でしたが怪我と手術にリハビリの繰り返しで下り坂となってしまいました。引退後にCLEの球団特別補佐役になりましたが今は家族団欒と過ごしているみたいです。
*サイズモアと秋信守
今の自分があるのは…
私がハフナーとサイズモアに特別な感謝をしているのは、MLBの始まりを2人から学んだからです。野球に対する姿勢や練習態度、クラブハウスでの生活など完璧な姿でメジャーリーガーとしての品位を失うことはありませんでした。
今のみんなは歳月が経って少し老け、3人とも3人の息子を持つ父親という共通点があります。
この再開で野球トークだけでなく子育てに子供達の教育問題のトークが出てくるのもまた不思議なものでした。
クリーブランドで過ごした6年間は私にとって幸運を掴むチャンスで、野球をすることに幸せを満喫した大事な瞬間でした。そのためか、クリーブランドでプレーした選手や球団関係者に会うたびに言葉では言い表せないほどの感情になります。
うちのチームがトロントへ遠征に行けば必ずTORの球団社長であるマーク・シャパイロが毎回打撃練習の時に訪れてきます。CLE時代にお世話になったGMです。社長に会う度にありがとうございますという気持ちになります。そして私にとっては恩人そのものです。なぜならシアトルにいた私をクリーブランドに引っ張って来てくれましたから。
ハフナーとサイズモアとの夕食を終えた翌日にお礼のメールを送りました。「私を呼んでくれた暖かい気持ちを忘れません。覚えていてくれて本当に有難いです。
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