水滸伝(下)を読んで
読んでいるうちに燕青、史進、呼延灼が出てくることがわかり、中盤までとても楽しく読むことができた。
特に燕青が活躍するシーンはとても良かった。とある山で行われた相撲の試合で、自分より遥かに大きな相手にほんの少しも臆せず、取っ組み合いのあとあっという間にひっくり返してしまうシーンはまさに『好漢』と呼ぶに相応しいものだった。
燕青は強いし顔も良いし頭も良い。だが主である盧俊義には信頼されずにぼろぼろに文句を言われ、けたおされてしまう。
梁山泊の首領である宋江もそうだが、水滸伝は全体を通して『忠義者』に対する扱いがどこまでも冷たいように感じる。頑張った人が報われない物語は、救いがないような気がして私は読んでいて悲しくなってくる。
水滸伝の下はそういう内容だった。108の好漢の荒々しく悪党どもをやっつける、読んでいてスカッとする話から一転、下の後半はその108の星たちが徐々に数を減らしていき、最後には完全にバラバラになってしまうまでを描いている。
正直、中を読み終わった時の感想としては、最後まで酒を飲んで戦っての大騒ぎを繰り返して最後にちょこっとだけ高俅たちを懲らしめる。良く言えば気持ちよく、悪く言えばあっさり終わるものだと思っていた。
だからこういう結末になるとは思っていなくて本当に驚いた。仲間が失われていくこと、忠義を尽くしているのに毒酒を飲まされたことに対する宋江の悲しみ。『死んで亡魂になっても一緒だ』と怒りもせずに死ぬことを受け入れた李逵の忠義。奸計にかかって死ぬくらいならと宋江が眠る地で首を吊った呉用と花栄の悲痛。
水滸伝の最後はどこまでも悲壮に満ちていて、あの好漢たちの面白くて荒々しくて楽しかった日々は全て夢だったのではないかと錯覚しそうになる程だった。
彼らを死に追いやった高俅たちに激しい叱責がくだったことは、死んだ宋江たちにとって慰めとなっただろうか。彼らの魂がどうか、安らかに眠れるように。
もしくは。梁山泊にいた頃のようにみんなが集まって、お酒を飲みながら楽しくすごせるようにと、私は願いたい。
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