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「私たち」を捉え直してみるためのいくつかの試み

このnoteはPodcastから一部抜粋した書き起こしです、全編はPodcastからどうぞ。

都市のコミュニティが崩壊しかけている

奥田:今回は真部さんに来てもらって何の話をしようとしているかというと僕が卒業制作でやっていたプロジェクトがあって、SAIEN PROJECTというものなのだけど。

奥田:都市のコミュニティが崩壊しかけていることを課題感に考えてて、特に都市の公共空間がサービスを享受するための場所みたいになってて。過去にあったようなコモンズ/共有地みたいなものは無くなってなぜそれが課題かというと、1つの仮説として、他者に対しての寛容性みたいなものが薄れているんじゃないかと感じるところがあって。それの解決策としてこの制作をしました。

奥田:ただ、1つのプロジェクトについてやっていくっていうのはそれ自体に意味はあるんだけど、頭打ちしそうだなというか。モノがなくとも、もともとの課題感としては他者への寛容性みたいな話だったのでそれ自体が大事で、それ以外は手段でしかないって考えた時に、別のベクトルの考え方もあるんじゃないかという話です。

Co-Designと「われわれ」の拡張

奥田:別の話ですが、Co-Designというデザインプロセスがあって。例えば北欧の小学校の事例ですべり台をつけるというので、それは建築家が勝手につけたいわけじゃなく小学生に「何つくりたい?」と聞いたら「すべり台!」と言われて、それは避難経路的にも有効だったりするんですね。

真部:おーなるほど。

森口:はいはい。

奥田:で、この話はなんの事例かというとCo-Designという手法を用いて、デザイナーが全部ひとりで考えるんじゃなくて、アイデアをそこの関係者の人にもらってとか協力し合うことでよりその場所に適したモノをつくっていくわけですと。

奥田:その話を掘り下げたときに、じゃあどこまでが関係者でどこまでが関係者じゃないのかっていうラインがあるなと思ったんですよ。小学校だったら小学生までは関係者かもしれないけど、将来的にその地域に住む人ももしかしたら関係者かもしれないし、じゃあそこで働いている人たちも関係者だしみたいな、どこまでが共に作らないといけない人たちでどこまでがそうじゃないかって分けれない。そうすると「私たち」みたいな概念を拡張しないといけないのかなみたいなことを思ったんですね。

「われわれ」をどうつくるかと、「われわれ」をつくる意味

奥田:でもそこで2つの課題があると思ってて。どのようにして自分たちみたいな関係性を生きていく中でつくれるかっていう話と、じゃあそれを作っていく先に、いろんな敵対視する人たちとか問題とかに対してどうやって取り組んでいくことができるんだろうかみたいなことを結構考えてるんですけど。この話を考えてて思い出したのがクレア・ビショップの敵対と関係性の話で。

真部:うん。

奥田:その敵対する存在たちと、プロジェクトに関係性を持つ人たちの対立の話って、どういう形で批判されたり考えられたりしてきたんかなと思ったんですよ。今日はそういうことを考えていければ。

森口:今の2つの課題ってこと?

奥田:そうそう。自分たちみたいな概念をどう拡張していけるのかっていう話、とそれをつくっていくことでネグリとハートのマルチチュード、うーんできるだけ簡単に説明したほうがいいんだけど。

森口:ある種そのグローバリゼーションであったり、資本主義であったり、インターネットであったり、そういうもの自体を拒否して抵抗運動するのではなくハックするような形でそれを使ってやるのがマルチチュード。

奥田:なんかそういう、社会に対して集団をネットワークとしてつくることで権力に対しても対抗する力になりうるんだっていうのがマルチチュードという概念で呼んでて、1人じゃなくて連帯することによって何かできる活動みたいなものもきっとあるはずで、そこの活動はどのように行えるのかっていうことも結構考えたいことでもある。

森口:なんかそのマルチチュードっていうのもさっきのその2つ奥田が挙げてた課題で言ったら、われわれみたいな自分がその属してるコミュニティみたいな形での私たち、まあ人間の関係性としての私たちみたいなところをどうつくるかっていう話と、でそれをつくったときにそれがなんやねんと。

奥田:そうやね。

森口:それの何がええねん、という話ね。

奥田:そう。

森口:それこそマルチチュードの核になる集団かもしれないし、何かの主体になるかもしれないし、何がええねん、という話と2つあるっていう。だからマルチチュードの話は今ので言うと何がええねん、という話の一例になるんじゃないかという。

奥田:そうそう。

奥田:だけどそこでまたちょっとややこしく引っかかってるのは、必ずしも権力に対抗するとかっていう感覚でもなくて、別にそれに参加するというか、民主主義的な話なのかもしれないけど、マルチチュードも権力の一部であるっていうくらいの考え方やと思ってるんよね感覚的には。

奥田:その第一歩目としてBlack Lives Matterの話を引き合いに出すと、象徴的な出来事があってそれに対する怒りというか危機感のようなものによっての連帯っていうのはちょっとマッチョに感じるんですよね。

奥田:そういう連帯も必ず必要だし、それ自体は尊いことなんだけど、もう少し日常的って言っていいんかな?日々の営みの中で発生するようなマルチチュード、共の存在っていうのは少し違う毛色を持っているような気がしてて。

森口:プランターの例(SAIEN PROJECT)で言うと、奥田がさっきBlack Lives Matterの連帯のあり方ともっとより日常的な文脈でっていうものを対比したけど、SAIEN PROJECTはどちらかというとBLMに近い連帯の仕方っていうのを感じたのよね。(次回に続く)



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