「その人のために」と思って 言ったことや、やったこと。 でも、実はそれは、 「直そう」「変えよう」 からの行動かもしれない。 選ぶもの・方向は、人それぞれ。 自分にとって「❓」な選択でも、 その人にとっては「⭕️」かもしれない。 自分の意見として助言するならいいけど、 「こうすべきだ」 「これが正しい」 などの断定的なアドバイスは、 時に人を傷つける。 たとえ、その人の人生が左右することであっても、 最終的に選択するのは、その人自身。
私はどうも 「提供してあげる」とか 「やってあげる」とか 上から目線で言われるのが苦手みたい。 ついつい 「してほしいなんて思ってないし」 となる。 そういう時のパターンはだいたい同じ。 私がお願いしているわけではなく、 実は、相手の方がお願いしたいことなのに、 「お願いします」と言うのは嫌だから、 「やりませんか?」と聞かれる。 そして、こちらが引き受けると、 自分の意に反した時は口出しをし、 それについて言うと、 「やる場を与えてあげたのに」 みたいに反論され、修正
最近起こったことについて自分を内観していた時、ふと気づいた。 味わった感情を、去年も味わっていたことに。 言われた人や内容、事柄は全く別だったけど、事の流れは全く同じ。 これに気づいた時、もう笑いしか出なかった🤣 私への課題はなんだろう? と考えてみたら…1つ浮かんだ。 自分の感情を認めて、感じ切ってあげれていなかったんだ。 怒りが出てくると、 「こんなことで怒る私、小さい」 と、もれなく出てくる。 だから、その場では言わずにいる。 そして、冷静になってから、後
最近、音楽のパートナーになりそうだった人と離れた。 理由は、「この人とやると、自分の本当にやりたいことができない」と感じたから。 自分の都合に合わせろ 自分のイメージ通りにしろ 自分が1番正しい これを無意識に出す人だった。 発端は、私と2人でのステージの歌。 最初は選曲を聞かれ、「いいですね〜」と言って、それに決まったのに、 「忙しくて練習時間が取れないので、簡単な方の曲と、前にやった曲にしてもらえないか?」と言われ、途中で変更した。 次の機会の選曲も、 「練習時
自分を愛する=自分の全てを認める 欠点だな〜って思っていることにも○をつける。 欠点だと思っているのは自分だけで、 他人から見たら魅力に感じることもある。 凹凸あるから、みんないいんだ。 どんな自分も、全て○