見出し画像

映画の日

この世には、明らかに金額以上の価値を持つものがあります。
その一つが、映画館で観る映画です。

映画というのは大の大人が何百人も集まり、何年も時間をかけて、何億円ものお金を使い、ああでもないこうでもないと言い合って、2,3時間の映像作品を作る。それを数千円で観れてしまう。正気の沙汰とは思えません。。。

私は毎週火曜日を『映画の日』と勝手に称してスケジュールを入れています。

わざわざ映画館で観なくても、少し経てばサブスクで観れるじゃないかという意見もあると思いますが、映画館で映画を観るという体験は、金額以上の贅沢な体験だと感じているからです。

まず、常にインターネットと繋がりアラートを繰り出してくる通信機器を閉じて、物語に没入する(しかない)という体験は、騒々しい現代においてリフレッシュの時間になると思うのです。(サウナに近いものがあるかもしれません。)
映画を観終えると、心地よい疲れと満足感に包まれ、脳内はクリアになり、煮詰まっていた目の前の仕事も新しい目を持って、新鮮な気持ちで立ち向かうことができます。

次に、今までであればスルーしてきたであろう映画との出会いです。せっかくお金を出すなら絶対に面白そうな映画だけを観たいと思っていたのですが、毎週となると、まぁ気になってはいるけどそこまでではないか、みたいな映画も観ることになります。しかし、予想に反して面白く、トップ10に入る映画に出会わせてくれたりもします。(嬉しい反面、自分の直感の頼りなさを痛感します。)

もちろん、中には今の自分にはフィットしなかったなという作品も出てきたりします。もし、これが家でサブスクを観ているならば、戻るボタンを押して次の作品を探していたでしょう。しかし、映画館に戻るボタンは存在しません。(会場を出ればいいのですが、貧乏性の私としてはせっかくだし最後まで観るかとなります。)

そういう映画を観ていると「なぜ自分はこう思うのだろうか」という問いを自然に投げかけることになります。

「自分はこういうジャンルの方が好きだから」
『なんでそういうジャンルが好きなの?』
「昔から良く見てたし、わくわくするじゃん」
『昔っていつ? 昔に何があったの? なんでわくわくするの? 昔と今は変わらないの?』
「えっと・・・」

このような会話を通して、自分という人間をより理解することができます。こういう深掘りは家で悶々と考えていても中々辿り着くことができません。
刺激物を当てることで、自分を知ることができます。

だらだらとそれらしい理由を語りましたが、ただ単に映画が好きだから観たいというのが一番の理由です。

映画館を出たあと、映画で使われていたサントラをダウンロードして、その音楽に浸りながら街をゆっくり歩く。
毎週火曜日に訪れる、小さな幸せを噛み締めて今日も生きます。

#エッセイ部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?