掃除とは、幸せになるための祈り(持論)
ゴミを捨てる(街を汚す)のは簡単。
でもその時、実は、大切なものも一緒に捨ててしまっている。
ゴミを拾うことも簡単。
しかも、1つ拾うごとに、心の靄(モヤ)が晴れていく。
掃除とは、心を軽くする行為。
掃除とは、生きていると、知らず知らずのうちにこびりついていく
「心の垢」を落とす行為。
心とは意識。
だから、頭もスッキリするし、気持ちがいい。
掃除をしても何も変わらない、
掃除なんて面倒で辛いだけ。
そんな人は、少し、心にこびり付いた垢が厚みを増している。
情報、お金、他人の目、周囲の声、
成功ノウハウ、過度な競争、一時的な流行、
世の中の色々なものに心(意識)を奪われすぎているかもしれない。
そして、もっともよくないのは、
心を靄や垢に覆われてしまうと、「喜び」や「感謝」を感じるセンサーの働きが鈍くなるということ。
幸せな人は、皆、生きる喜びと、感謝の気持ちに溢れている。
つまり、心が晴れている。
難しく考える必要はない。
ゴミを拾うと心の靄が晴れる。
掃除をすると心の垢が落ちる。
ただ、それを感じる。
そして自分の中の深い部分にふと湧き出てくる
小さなゆらぎを感じる。
そしてそれは、こんなことを教えてくれているように思う。
人間の叡智を超えた、大いなるものへの大感謝。
命という奇跡、そして、その奇跡的な繋がりへの大感謝。
掃除の真髄のようなものがあるとすれば、それは、「心を磨く」というだけではなく、もっと深いところにある「魂の声」を聞き取れるかどうか。
真摯に向き合い、掃除を続けていると、
必ず、心が晴れて、魂が喜び、幸せを感じられる。
掃除は、自身を幸せへと導く「祈り」でもある。
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