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【創作論】名作のリメイクと改めて考える創作の現在地

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0.名作のリメイク

 昨日9月29日。とあるPCゲームが発売された。タイトルは「それは舞い散る桜のように(以下それ散る)」。古参も古参の「エロゲ―オタ」ならば恐らくその名前を知らないということは無いだろう。

 現在はプリンセスコネクト!Re:Diveのなかよし部関連のシナリオなどでもライターを務めている王雀孫がライターを務めた作品だ。務めた、と過去形なのには訳がある。そもそもこの「それ散る」。未完なのだ。

 なのだ、と書いたは良いが実は自分も詳しい経緯は知らない。そしてこの際重要ではないのでがっつりと割愛する。気になる人は調べてみると良いだろう。今回重要なのは以下の二点。

・「それ散る」は未完の作品である
・名作と名高い作品である。

 ぶっちゃけて言う。自分も詳細は知らない。なんだったら、体験版もプレイをしていない。だけど買った。少し出遅れたこともあって、通常の限定版は既に予約で完売。残った選択肢から、豪華な店舗の限定版を選択して、一週間前に予約。それを昨日、まさに受け取ってきたばかりという状態で書いている。

 箱は見たが開封はまだだ。なんだったら、この文章が公開される時点でもまだ開封していない可能性すらある。別にやる気が無いわけではない。元からこうなのだ。主にライターの遅筆が原因で、自分の中にある需要と供給のバランスが成り立っていない作品や作家は、得てして大事にし過ぎて取り合えず漬けるということをしがち、というだけで、そのうちきちんとやるつもりである。

1.豪華限定版を買ったワケ

 とまあ、ここまではただの「ゲーム買ってきたよ」報告みたいなものだが、ここからが本題だ。そもそも自分は何故、情報も知らない、体験版もプレイしていない作品を、店舗特典なしの限定版の予約が売り切れていたからという理由のみで、一番上の豪華版を予約するに至ったのか。

 簡単だ。ライターが王雀孫だからだ。別に彼に限ったことではない。自分の中には「新作や新刊が出たら必ず購入する」レベルのライターや小説家が四人いる。ただし半分以上が遅筆だ。

 一人は既に作家として活動しているのかすら怪しいレベルで、新作など望めるはずもない状態。一人は「それ散る」のメーカーであるNavel所属(のはず)だが、今現在何をしているのかも分からない。唯一漫画家・大久保圭のみが(ペースこそ遅いものの)新刊を出しており、これが自分にとって数少ない「発売を楽しみにする作品を生み出し続けている作家」である。そして、最後が王雀孫。この四人だ。多くの作品に目を通してきて、追いかけるに足ると判断した四人である。

 そんな彼が(恐らく)一躍有名になった作品である「それ散る」。その後に発売された「俺たちに翼はない(以下おれつば)」が出るという当初から、その名前はちらほら聞こえていた。と、いうか、大体の人間が王雀孫というライターを語るときに持ち出すのが決まって「それ散る」なのだ。

 ずっと気になってはいた。しかし、未完である。未完の作品をプレイしてもやもやするのは主義では無いので、ずっとスルーしていたのだが、今回無事に完結した作品として作り上げられるというのだから、これを無視するわけにはいかないだろう。ただでさえ、継続して視聴購読するに値する作品が皆無になってきている以上、かかる期待は当然大きい。

2.才能は二作目で真価が問われる

 が、先に書いておこう。恐らく自分は作品を楽しむだろう。それは間違いない。しかし、一方で、特定の作品が与えてくる衝撃を出してくるかと言われると「それはないだろう」と見ている。自分の出す評価についてよく知っている人に向けた説明をするのであれば「SSSランク」は出ないだろう。という予想になる。

 これにはきちんとした理由がある。王雀孫の作品。そのシナリオは割と「読者の死角を意図的に作り出し、そこから攻撃を仕掛ける」スタイルなのだ。別に攻撃的な文章というわけではない。読み手と書き手が戦っているようなイメージだ。

 他の創作では、必死に読者の死角から攻撃を仕掛けようと試みる。しかし、いかに死角だろうと思う位置で動き回っても、自分からすれば見えてしまう。そうなってしまうと予定調和なことが起きる作品にしかなりえない。それらを読み合い以外のフェーズで楽しませる作品にしている場合もあるが、それはまあ、置いておこう。

 王雀孫は、少なくとも「おれつば」を見た限りでは「死角を作り出す」というイメージだ。これならば相手の視野角は関係ない。意図的に死角となる位置を作成し、核心部分はその死角から出てくる。そんなイメージだ。もちろん、作風を見るには最低二作品は必要だという意見はあるだろう。しかし、こればっかりは仕方ない。そもそも彼が単独で執筆している作品が少なすぎるのだから。

 したがって、今回の「それ散る」はある意味、ライターの真価が見える二作目だ。時系列的にはこちらが一作目なので、「おれつば」の方が精緻な可能性はあるが、その核となる力量はそう変わらない。上述の通り、自分の分析が正しければ王雀孫は「死角を作り出す」ところに妙があるはずで、この手法は「バレてしまうと弱い」のは間違いないはずなのだ。

 とまあ色々書いてきたが、個人的にはかなり期待をしているし、自分のこういった推測や仮説をあざ笑うような手でこちらをあっと言わせてほしいのだ。繰り返すが、自分が今でも新作や新刊を楽しみにする数少ないライターであり、天才と言っても過言ではないはずの人間だ。きっとあっと驚かせ、散々高説を垂れた自分にきちんと恥をかかせてくれるものだと思っている。

3.天才を差し置いてヨイショされる作品たち

 さて。割と良い感じの日記テイストな文章がまとまったところだがまだ終わらない。今回「それ散る」は古参のファンからすれば奇跡的なリメイク(自分はその当時を知らないのであくまで有名な未完作品が完結する程度の考えだが)ということもあって、それなりに話題となった。なんなら、フィジカルなソフトが完売で、ダウンロード版しかない。そんな状況にまでなっていたようだ。

 一応、発売当日の現地には「通常版」であればまだ若干の在庫はあったものの、それくらいだ。それも時期に無くなるだろう。中には気が付いたら売り切れていたといった話もあったようだ。

 正直な感想として「何故?」という思いが強い。所謂エロゲーという文化が勃興してからは軽く数十年は経つはずだ。にも拘わらず、手にしたいものの手に渡らないのは何故か。

 もちろん、様々な事情が絡んでいるのは間違いない。それに関しては自分も疎い部分があるからあえてつっこみを入れることはしない。ただ、生産の関係上、難しいところもあるという話も漏れ聞こえている。

 もうはっきりという。世の中にこれよりも流通体制を整えなくてはならない作品なんてそう無いはずだ。どうしてこんなことになってしまっているのか。世の中にはファンが多いのにも関わらず、資金難で続きがなかなか出せない作品が一杯ある。その一方で、一体どこのアマチュアが書いたのかも分からない三流未満の作品が平気な顔をして、豪華声優を侍らせてアニメ化をする。一体何故こんなことになってしまったのか。

4.何もしなければ日本の創作は“崩壊”する

 今回、自分は「それ散る」を買った報告の日記のようなものを書いて終わりにするつもりだった。しかし、やはりどうしても納得がいかない。

 ここ最近では、イラストシナリオ共に優れていると思っていた作家が、恐らく金で大手に引き抜かれた挙句、今まで連載していた作品をリメイクという形で一から書かされ、数巻で完結させられたと思えば、原作のあるもののコミカライズを担当させられており。その単行本も出ているようだが、買えばその選択を肯定することになり、買わねば作者の寿命が短くなる地獄絵図となっている。

 自分はずっと「早ければ二十年、遅ければ五十年で日本の創作は壊れる」と主張している。この主張もし始めてからかなり経つので、下手をすればもう十五年か、二桁無いところまで来ている恐れがある。この直感的。いわば第六感的な感触は当然理論的に説明出来るはずもなく、同意を得られたことはない。どころか、一体何の証明になるのかも分からない数字を持ち出してどや顔をされるのが関の山だ。

 正直に言えば、日本の創作は見捨てた方が楽なはずだ。沈みゆく泥船から、「自らは泥船に乗っているという自覚の欠片も無い人々」を救い上げるのは至難の業だ。

 ただ、やはり、どうしても諦めきれない。他の趣味ならばどうぞ滅びてください、すたれてください。オワコン化してくださいとにっこり笑顔で言えるだろう。でも創作だけはどうしても難しい。ぱはり、切っても切り離せないのだ。自分が死ぬか、日本の創作が復活するか。二つに一つと言っていい。

5.天才への大いなる期待と、愚鈍なる無能への侮蔑

 「それ散る」発売の話からそんな話をするなと言われそうだが仕方ない。優れた才能や優れた作品と見比べると、どうしても至らない作品が汚らしいゴミか何かに見えてしまう。

 王雀孫は遅筆なので仕方ないにしても、状況さえ整うのであれば、他のライターによる新作の目があるかもしれない。自分が新作や新刊を楽しみにする作家・ライターのうちの二人。王雀孫と東ノ助。自分からすればまさに「片方でも味方に付ければ天下を取れる」とされた三国志演技の諸葛亮と龐統が両方いるような状態(両方を手中に収めた国がどうなったかは言わないお約束だ)と言っていい。

 その状態で、数年かけて出てくるのが「リメイク」というのが個人的には寂しい。しかしこれはNavelのせいではない。メーカーに一人いればよいレベルの才覚が二人いるという事実にすら気が付けない人間が平気な顔をしてプロフェッショナルの椅子にふんぞり返っていることが問題なのだ。

 何度でも言う。今のままでは日本の創作は確実に取り返しがつかないレベルで崩壊する。これは予想でも仮説でもない。単なる「事実」だ。その予兆は数年。下手をすれば十年前からずっと出続けていると言っていい。

 これをここで書いて何かが起こるとも思っていないし、はっきり言って今、日本の創作を楽しんでいる読者、視聴者の殆どには全く期待もしていない。どうせ何も起こせないし、大したものも作らない。数少ない天才以外は見る価値は無い。それが自分の認識だ。

 もし、ここまでこんな日記なのか愚痴なのかも分からない文章を読んだのであれば。そして、そんなことはない。本気で憂いているというのなら、事を起こしてほしい。それも出来ないのであれば、自分の背中を押していただきたい。最も、誰にでもかける、教科書にでも乗っていそうな言葉であれば特に気に留めることはしないだろうが。

 最後になるが、改めて「それ散る」は大いなる期待を持って買った。途中横道にそれるような形で言及した掃き溜めとは一切関係のない、汚れなき白鶴だ。

 「死角を作り出す形だから二回目は読める可能性がある」とは書いたが、それでも、その警戒心が強い状態の自分に死角を作り出し、一本取ってくれることを楽しみにしている。そして、その先に「天才が新たに作り出した完全新作となる名作」が存在することを切に願っている。

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