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考えすぎ日記⑲ 人に迷惑を掛けてはならない

めちゃくちゃ面白かった。


日本の好奇心を育てない教育、◯✕の評価
→事象に疑問を持たない、問いを立てない人になる、分からないことも分かったフリをする技術が身につく
→個が無くなる、思い込みのコミュニケーションが続く
→自分が分からない、噛み合わない人間関係


間違えられない、出る杭になれない
辞めるのが下手、貫き通すのが正義
監視社会。それは同調圧力の結果の心理かな。
役割期待を演じる、わぁ〜これだよなぁ。
親からの期待、周りの目からの期待、「普通は」の概念。
これじゃあ自分がわからなくなるはずだ。

正解など無い、考える過程が大事。
「なんで?」という好奇心は2〜3歳のなぜなぜ期以降、潰されてしまうのかな。
学校に入ると「そういうものだから覚えろ」的な教育になっていくし。


トイレに入るといつも思うのが、「人にどう思われるかを気にする文化」の最たるものが「音姫」だよなぁ、と。



留学先の語学学校で感じた事そのままだ。

察して欲しいでは伝わらない
分からないことは聞き返す、質問する
出来ないことは恥ではない
他者はそこまでアタシのことを見ていない、期待もされていないから緊張する必要は無い
誰も空気読んでない
思ったことはそのまま言っていい

自分が受けてきた教育の弊害を46歳にして痛感したのだ
あーこれじゃ日本の教育はヤバいと思った。
人との対話、交渉技術が身についていかない教育。


あとやっぱり、波風立てない文化。
結局物事を荒立てないことが良しとされているけど、表面上綺麗事で済ましたら人間どうなる?今のSNSはどうか?
人を叩く、吊るし上げる祭になっている。
結局言いたいことは溜めてはならないということだ。
溜めると思いは腐り、憎しみになる。
人間同士の対話によって今まで解決したりしなかったり、ぶつかり合う必要はずっとあって、深まる仲と、そうでなかったら関係性は切れるんだし。言ってダメならやりとりを辞めるし。


それと正しさを求めすぎ。
考えや価値観の違いを受け入れる柔軟さを育てる。
「正解はこれです」と教育されつづけたらそりゃ、違いを受け入れる人間が育つわけない。ジャッジされ続ける弊害。わあ。
みんなと一緒というのが安心なんだけど、そう考えるとやはり不安が強い世の中なんだろうなぁ、と思う。
自分の正しさを証明しつづけたり、承認しつづけられないと不安。
ああこれもアイデンティティの無さなのか。
自分から湧き出る「これでいいのだ」が分からない。
同調圧力の強さの結果だよなあ。


この種の動画を見ると、思うことがどんどん浮かぶなぁ。
やっぱり人の思考に強烈に興味があるんだ。






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