46歳留学記⑭ 人は集いたい

おおお、なんだか書きたいことが止まらない。


こないだの日曜日、友だちも来たいと言ったので一緒に教会へ行った。
この日はオリジナルのクワイアだけではなく、マオリの青年のクワイアもいて、渡航前にゴスペル仲間が教えてくれたマオリの人たちのゴスペルが聞けた。
とんでもなく歌うまい、声がいい。

礼拝の間に牧師と、マオリの青年が交代で説教をしている。
よく聞く「隣人を自分のことのように愛せ」という話。

説教を聴きながら「ああ、信仰とは、何かとの結びつきを信じたい人たちが集まるんだな。それが神様という理由の元集まるんだ」と感じた。
人は集いたいんだ。
集うには理由があった方が集まりやすい。
何でも良い。
同じ信仰でも趣味でも祭りでもライブでも。
人は集って何かをすることに喜びを感じるんだと思った。
場の共有、感情の共有。
人生で何とどんなタイミングで出会い、何を得るのかはその人次第。
良くも悪くも運命というか、出来事は変わる。人も変わる。
それが没頭出来るものだとなおいいのかもしれない。
時間を忘れてのめりこめるもの。

それが人によって対象が違うだけ。
推し活なのか、宗教なのか、ホストなのか、ギャンブルなのか、買い物なのか、酒か。
この没頭もちょうどいいバランスを取るのが難しい。やりすぎると破滅してしまう。


信仰だと、こないだ聞いたクリスチャンの話は「どの人も受け入れる」という内容だった。
良いとか悪いとか、分からないけど、これが新興宗教というものだととても限定的で、信じないものは地獄に落ちるとか言われちゃうところもある。他宗教を受け付けない、固執させようとすることでうまくいくのかな。より不安が強い人が集まるのかもしれない。いや、その方が集めやすいのかも。そして周りが見えなくなっていく。


んーバランスだよね。

最近になってまたゴスペルが本当にツボだ。
コロナで自分たちのクワイアで全く歌えなくなってしまった。
コロナ前は定期的に集まって練習していたのが無くなった寂しさ。


この「同じ空間と思いを共有する楽しさ」というのが忘れられない程うれしく、毎回「生きてて良かった」と思えたのだ。
ライブもそう、仕事もそう、フェスもそう、ゴスペルも。
人と何かを共有する楽しさがたまらないのだと気付かされた。

昨日見つけた Kirk Frankrin の動画がたまらんくいい。
去年のイベントの録画。フロリダの刑務所でみんなで歌っている。
大好きな「 My life is in his hands」わーこれだな、と思った。
17年歌ってきたゴスペルがここで繋がる。わーうれしい。不思議。


明日は教会の歌の練習がある。
行ってみよう。やってみよう。ダメなら次を探せば良い。

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