46歳留学記㊹ 与える人になれているだろうか
23日から1週間南島に旅行に行っていた。
すんごい、ニュージーランドだった。
それはまた後日書こうかと思う。
昨日戻ってから部屋でゆっくり。
おお、「きのう何食べた?」が最終回だったから見よう、と鑑賞。
よしながふみの作品は本当に名言がいっぱい。
しろうさんと両親とのやりとり
息子に少しでも財産を残したいと言ったお父さんとしろうさんの会話。
「俺は孫という形をお父さんとお母さんに残せなかった。けど、その事を今はもう二人に悪いとは思ってないんだ。俺は二人からいろんなものをもらってるし、俺がもらったものは何かしら誰かに伝わってると思うから」
ああ、刺さるわぁ。
今まで自分の人生に葛藤や不安が多く、怒りとか憤り、いろんな考えを巡らせてきたけども、振り返ると私も両親からいろんなものをもらったよなぁと思えるようになってきた。時間がかかったなぁ。
お父さんもお母さんも心配性で過保護過干渉。
「結婚8年目でやっと出来た子」ということばは耳にタコが出来ている。
実は3人めの娘。上二人は流産している。
娘が転ばないように全部お膳立てをしてしまう両親。
黙って座っていると食べ物が自動的に目の前に出てくるし、きっと小さい時は足を出すと靴下が自動的に履ける子だったと思う。(そういう子を保育園で見るたびに「アタシもきっとこうだったよなぁ」と思っていた)
だから娘の私は何も出来ない、何も知らない子になってしまったと思っていた。
母はアタシを大事にしたかったけど、どうやって育てたら良いか分からなかったと思う。
自分が大事にされたと思えた経験が無かったんだと思う。
料理、お世話焼き、物を買い与えるのが彼女なりの愛情表現、でも依存もあたる先も娘だった。
父は父で心配性で真面目。緊張感が常にある家庭が嫌で浮気したんだよね。でも経済的に困ったことは一度も無かった。
子はかすがいで生きてきたのを呪った時期もあったけど、両親ともに私を大事にしようとしてくれたのは分かってきた。
まあそれが原因でケンカしたりしてたから、いつも「自分のせいでこの夫婦は喧嘩になる」と思ってたけどね。
自分は人に何かを与えられる大人になっているだろうか?
私に子どもはいないし、子孫繁栄は無理だった。
けど、自分なりにこの先、何が出来るかをまた考えたいと思った。
そんな年末でした。
2023年は本当に音を立てて自分の人生が変わった時期だった。
まさか自分が今海外にいるなんて、今年の正月の自分は思ってなかったと思う。パニック障害も克服出来つつあると自信を持って言える。
推しと、友だちと、知り合う仲間と、両親のおかげだ。
ありがとうございます。
来年もよろしくお願いします。
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