手っ取り早く承認欲求が満たされる仕事

これ、前にも書いた内容かなぁと思いつつ、再び書く。


福祉を離れて早2年弱。
帰国してから久々にいろんな人に会いながら、自分も話すし友だちの話も聞く。会う友だちはやはり元同業者が多く、前に所属していた業界の話をよく聞く。
前に担当していたお母さんにも会った。
「みやちゃん戻って来ないの?」と言われるのは本当に嬉しいしありがたい。
と、同時にやはり手っ取り早く自分の承認欲求と存在意義がごりごりに満たされる仕事だったんだなぁ、とつくづく思った。


働くということは人の役に立とうとすることと社会貢献の意味があると前に何かのテレビでマツコが言っていた。
その通りだと思う。
この「人の役に立つこと」は「その仕事をしている自分に酔う」場面も出てくるし、それが仕事のやりがいだったりする。
あと、「良かれと思って」のバランスも難しい仕事だと思う。
対人支援なんてモロにそうだ。
ことばでの意思疎通が難しい障害のある人や子ども、お年寄りなどはこの見極めが難しい。


「自分が人の役に立っている」と感じられることは良いことだ。
だけどその線引とバランスが大事で、「その人のために「やってやって」る」はとても危険だし、依存性も産んでしまいがちになる。
それをプロとして見極める技術が必要。
目に見えないこの感覚、共有するのも難しい。


福祉や対人支援は「人助けをしたい」という意欲の元、始めたり持続することがほとんどだけど、「やたらと人を助けたがる人」というのもこれまた厄介だと思う。
熱が入りすぎてやりすぎてしまう。ということは冷静じゃないことになる。
結果、その人のためにならないのであればやめた方がいい。
でもその「その人のためになっているかどうか」もすぐに答えが出ないから厄介。


福祉の仕事は利用する人が自立に向けて変化していくことの手伝いで、「その人(支援する側の人)がいなきゃダメ」な状況を作るのは本当に意味がない。ただ依存を産んでいるだけで、支援者の承認欲求を満たすために利用者が使われてしまうこともある。
手伝う人が必要無くなる程、その人が自立していけることが理想。
これもまたむづかしい。


結局、感覚の話って共有するのが難しいよなぁ、という話。

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