子どもという存在が大人にしてくれる
先週から始めたバイト先の学童保育の卒所式に参加した。
そこでつくづく、子どもという存在によって大人は大人にしてもらえるんだなぁ、と思った。
6年生の子の今までの思い出が写真で映し出される。
両親が挨拶をする。
挨拶が素敵だった。
母は「大きくなったね」と大勢の前で言って
父も「自転車とスキーでは負けた」とみんなの前で発言した。
親が我が子をみんなの前で認める、すばらしい過程だった。
大人は子どもという存在があって初めて、大人にならせてもらうんだと思った。
明らかに、自分より年下で、助けなければ生きていけない存在。
今日来ていた赤ちゃんの愛想の良さに、「どうして笑うんだろう」とつくづく思った。
愛想は生きていく上で赤ちゃんには必要な技術なのだが、誰も教えていない。「笑った方が愛されるよ」なんて、誰も教えていないのに、なんとも可愛らしい顔を周りの人に見せるのだ。
それはやはり、誰かの手伝い無しには生きて行けない赤ちゃん故の処世術が本能的に備わっているんだろうか。
子どもがいない人はどうだろうか?
私もそうだけど、大人の概念は何だろう?
何をしたら大人なんだろうか?
ふと思った。
人生の成熟とは、どこを目指すのだろうか?
大人になる、とは?を思った日だった。
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