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考えすぎ変身日記⑦ 擬態して生きる社会

買い溜めた本を順調に読んでいる。
本やYouTubeから、いろんな人の生き方を聞いている。

こないだマフィア梶田の切り抜きYouTubeを観た。
彼の考え方や物の捉え方が好きで、時折見ている。
お悩み相談もやっていて、この時は「メンタルを強くするにはどうしたらいいですか?」という問いがあった。
う〜んと言いながら彼が答えたのは「強くする方法は無いです」
「三つ子の魂百までというのを信じていて←me too 、これはその通りと思っていて、その頃から大人になっても中身はあまり変わらない。みんなその自分をごまかして生きている」と話していた。
わーそうか、前に書いたリリー・フランキーのことばもそうだった。
幼少期の育ちはあまりその後も変わらず、それをみんなごまかす方法を社会に出て学んでいるだけだと。わーほんとだ、これだね。

世に出ている自己啓発本あたりは、あれを読んでみんな自分をごまかす方法を読んで習得した気になっているけど、その安心するのが大事なんだとも語っていた。人は何かに縋って生きていくんだと。
わー彼はまだ30代前半だよね。
きっと社会でいろんな人を見てきたし、そこに自分を重ねて捉えてきたんだろうなぁ、と思う。


社会に擬態する技術もあったらいいけど、でも自分らしくっていうのも大事だもんなぁ。
社会に擬態するために個を殺しすぎても自分が無くなってしまう。
療育で関わってきた子たちを思い出す。
ちょうどいい、これまた本当に難しい。
馴染むのが難しいのだ。私もそう。


たまたま観たインスタ、今の水カンの中の人が言っていたのも、
「毎日が楽しいと感じていることが正解ではない。楽しい方が良い、幸せな方がいい、楽しくない・不幸はダメ良くないなってるけど、これは上にいる、下にいるじゃない。たまたまそういう時期だったというだけ」
すごい価値観だよなぁ。


そう考えると世の中の刷り込みがすごいあるなぁ、と思った。
「こうあるべき」「こうなってないとダメ」がすげぇ決まってるし、その刷り込みにすごい左右されてしまいがちになる。
小さい頃から「あなたはそのままでいいよ」と言われてきた人はどのぐらいいるのか?
周りにいる大人がどれだけ「無難に、普通にしよう、そのように育てよう」としてきてしまうか。またその大人も洗脳されがちなんだと思う。


そもそも「自分軸」というのを作りづらい環境なのかもなぁ。
こういうふうに考えた時にいつもNZでお世話になった担任のハンナの話を思い出す。
彼女が幼稚園の時に歌を歌ったら、担任の先生に「下手だから歌うのを辞めなさい!」と止められた、と。それでも彼女は歌い続けたらしいけど。
腹がたったから家に帰ってその事を彼女はお母さんに泣きながら訴えた。
その時にお母さんはハンナに「あなたは歌が大好きだから歌い続けたのね。それでよし!」と言って、幼稚園にお母さんからも抗議の電話を入れたっていう話。
ハンナとお母さんの関係性が見える。
「子どもの意志を尊重する」という話だ。「あなたはそれでいいのよ」と認められてきた彼女には、揺るがない自信がちゃんとある。
後半、授業の休憩中はほぼ彼女と話したけど、自分の主張はしっかりするという姿勢が素敵だった。憧れるなぁ。


まあこれも考えすぎってことか。
自分と相談して、自分と、適当に生きる。



自分とどうやって生きていくか、という工夫なんだなあ。

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