46歳留学記㉛ 感情活動で得られるもの

おっと10日もたってしまった。

先週でかなり仲良くなった二組の日本人が帰国してしまい、かなり寂しくなっていた。後半で一気に仲良くなり、帰りは本当に寂しかったなぁ。


それで諦めがついた?のか、ここの所自分を満たす活動をしている。
諦めって大事だな。
前に自分の思考が変わったのも、きっかけは諦めだったと思う。


それまでは(今でも)誰かと出かけてないと充実してないんじゃないか?という思い込みにさいなまれていたが、
最近は行きたかったゴスペルライブに立て続けに行ったり、見たかったイベントに行くことで自分で行動し、自分を連れていくということをしていた。

好きなことをやっているときの自分はやっぱり大好きになれる。他者の感情を全く気にせず、自分の感情にだけ没頭できて、「自分最高〜」ってなれるんだと改めて気づいた。


でも、これも一人じゃ出来ないんだ。誰かの何かを見て感銘を受けて感動している。一人で行動するのがかっこいい、でもないのだ。


それと鳥羽さんのことば「感情を信用しない、現象だけを見る」というのが心に刺さりまくっている。
アタシは自分の主観や他者の感情に振り回されてしまいすぎるのだ。
仕事では良い方に働いたが、とかく自分のこととなると悪く働く。
これは気質もあるけど育ちの影響がデカい。
人の機微に敏感に反応し立ち回れてしまう。そして大概当たっている。
それが良いことだと思っていたけど、こんなにも疲れてしまう。


もっと自分の感情を大事に、人の感情をシャットアウトして線引きする練習が必要だと感じた。
他人の思いを読んでたち振る舞っても何の自己防衛にもなっていない。
自分で自分を傷つけているだけなのだ。
そして他者のジャッジにしがみついていることになる。
自分を大事にして立ち振る舞った時に離れていくやつは、それまでの関係で今後の自分にも必要無いのだ。


先週午後の授業で人格を説明する形容詞を習った。
その時に先生が言っていたのが「sensitiveには2つの意味がある。落ち込みやすかったり鬱になる繊細さと、他者を気づかえる繊細さ」
おーなるほど。
日本では、てかアタシのイメージの繊細さは前者しか無かった。
これがプラスに働くといいんだよな、と思いつつ。


自分はそういう意味では人を気遣う職業は合っていると思う。
接客業、福祉がそうか。
でも友だちが言っていた「仕事の話をしているとき辛そうだよ。もっと気持ちを切り離して考えられると楽になるよ」というのはこれだったのか、と言われた半年後の今頃合点がいく。


仲良くなった子に「考え過ぎです、疲れちゃいますよ」とズバリ言い当てられた。そうなんだよなぁ、この書くのも疲れる一因か。
でもこれあんま読み返さない。ただのアウトプット。


さて、自分を満たして動かしていこう。



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