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母を見て思うこと


昨日、帰国してから初めて母の施設に行ってみた。
施設に行くときはいつも緊張してしまう。
母に会いに行くということと、母の具合がどのぐらいなのか、現実を目の当たりにするのが怖い気持ちが正直ある。
今回は父と一緒に行った。

最近は面会時ほぼ寝ていたと聞いていたが、この日は起きていた。
受け答えは出来るものの、認知症は進んでいる感じだった。
体位交換が必要で、自力で動くのは難しそう。手の動きも固くなりがちなので、父がマッサージしている。
母が寄り添う父の頭を撫で始めた、「こんなことしたことないよね」と言いながら。
母の爪が伸びていたので父が爪を切り始めた。
肌を引っ掻くそうなので、ヤスリも掛けている。
「あんまり切りすぎると痛いって言うから」と慎重に爪を切る父。
「乾燥肌で昔っからよく掻いてたもんね」と優しく声をかける父。
77歳の父が79歳の母の爪を手元を震わせながら切っている。

私が子どもの時にいがみ合っていた両親が
母の認知症が数年でこんなにも進むなんて
いろんな意味で、こんな光景を見る日が来るとは思っていなかった。
お母さん、あなたは父に十分大事にされているよ、と思った。
結局母は上手な甘え方が最後まで分からなかったのかと思う。
一昨年、「お父さんがお金取った」が止まらなくなった。依存と攻撃性は甘えの裏返し。

そんな両親の姿を見て最近は「夫婦とはこうなのか」と思う。
支え合い、愛しているというのを上手く表現出来ない場合もあって、いやそれがほとんどかもしれないけど。結局自分が選んだ人なのだ。
去年、友人が病床の夫を家で看取った時に「意地っ張りでいらつく事もあったけど、最後に家を選んで最後に世話をする人を私だと選んだと思うと、最後はちゃんと愛おしくなった」と言っていた。「人は産まれた時に戻る」と。

育った環境で私は母に「夫婦と言えども絶対に相手を信用してはならない、所詮他人だから」と吹き込まれ、父と祖母の文句をずっと聞いて育ってきた。だから結婚には全く魅力が無かった。
最近部屋の断捨離をしたんだけど、昔母からもらった手紙が出てきた。自分から距離を置き、連絡をたっていた時期の手紙だ。そこには「いつでも大事な雪絵へ」というタイトルで縋り付くような内容の手紙だった。読んでいて苦しい、今となっては可哀想な母親だったなぁとしみじみ思う。人を振り向かせる、人を繋ぎ止める技術がどのぐらいあったのか。

素直になるのは難しい。自分を出すのは勇気がいる。
大事に思ってくれる人がいるのに、「思い通りに相手が動いてくれない=分かってくれない」と子どものように怒ってふん!と突っぱねる、
相手と対峙する場面になると素直さが無い、高すぎるプライドは損をするということを、身をもって教えてくれたのかもしれない。

そして今の両親の姿を見ると「これがうちの夫婦の形なのか」と思い、「結婚も悪くないかも」と思えるようになってきた。
幸せは2倍に、困難は半分になるんだろうな、と。
今になって両親が教えてくれているのかと思う。
安心出来無い家庭でいつも緊張感があり、心が休まらないから帰りたくない実家だった。
「家族ってなんなんだ?」と散々苦しみ、家族って厄介で、一番めんどくさい人間関係なのかも、と悩んで来たけど、今となっては「うちの家族の形はこれなんだ」と思う。
人は一人では生きられないのだ、本当に。

母の人生はどうだったんだろうか?幸せだったろうか?いやいや、まだ生きてるんだけども。40年間、子どもながらに母を何とか救わなければと思っていたけどそれは違うことに気づいた。親子ではそれは不可能で、子どもにはそれは無理なのだ。母の人生と自分の人生の切り離し作業が必要だった。子どもが気づくまでにかなり時間がかかる。

父の人生はどうだろうか?不安定な母と結婚し、息が詰まる家庭で途中女に走り、それでも仕事は続けて経済的に困る事は無かった家庭だった。
母の不安定さと向き合い、後半は娘の気付きから思いをぶちまけられ、いろんな家族の思いを受け止めている人だったなぁと思う。いやまだ生きてるけど。結局一番精神的自立をしていたのは父だろうな。

と振り返ると各々自分勝手に生きている面も見えてきたな。
あたしも自分勝手に生きよう!やっぱり旅行業に挑戦したい。


「人は産まれた時に戻る」とは昨日の母がまさにそれだった。自分の爪で肌を引っ掻く、おむつをして、世話してもらう。
着ているフリースのチャックを何度も上下し、チャックをなぞりながら自分の首を掻いてそのまま髪をかきあげ、顔のラインを指でなぞる常同行動を何度もしていた。

常同行動も人が安心するために繰り返す行動だ。
緊張する時に自分もあるなぁ、と思う。
療育で見てきた子どもたちも、「自分をフラットに保つための工夫」だったんだとしみじみ思う。


福祉を離れて2年になる。この間に留学に行き「自分の価値観をぶっ壊そう」という目標は本当に出来つつあると思う。
偉そうに「先生」と呼ばれ出来る自分を演出していたものを取っ払い、自分に向き合う期間となった。
他者の感情を切り離す、自分軸を見つける、マイペースで進んでいく。
この年になってやっと気づいたことだらけで、これが自分の発達だったと思う。


いろんなことが「これでいいのだ」と思えるようになってきた。

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