いつもと違う夏に感じたこれからの時代のこと。

私事ですが先日母が亡くなりました。

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3年前にすい臓がんを患い、その手術後は普通に生活できるまで回復しました。
しかし春先に胸水が溜りだしてからの入院。
最後は安らかに旅立っていったようです。


「…ようです」というのは、昨今のCovid-19の影響で面会はできない状態が続き、最後の最後(臨終立ち合い)も親族一人だけという限定でしたから。


遠くにいるために立ち会えないという事はこれまでも有りましたが、近くにいるのに立ち会えないという理不尽さ。そういう意味でも今年の夏は、これまでと違う夏だと実感しました。


通夜と告別式は、当然のように近い家族と親族だけで執り行いました。県内の半径20km以内居住の親族だけです。

これまで家族葬と言いながらも、近所の方々もある程度参加されることが多かったので、今回の家族葬は本当の意味での家族葬になりました。

祭壇

実ははじめ「少し寂しすぎるかな」とも思ったのですが、無事に終わった今はこれはこれでよかったのではないかと思います。親族だけでこんなに静かに進んでいくお葬式も良いものです。


浄土真宗は「生きている(残された)人」の気持ちが優先されるそうです。

法事は、その時の状況を鑑みて「自分たちために」行うものだから、こうするべきという事は考えなくていいそうです。

そういう意味でとても柔軟性が高い宗派だといえます。(偉そうですいません(汗))


まぁ、自分たちが今できる事、やってあげたい事をやれば良いというのはとても気持ちが楽になりました。


ちょうどお盆の時期でもあり、TVでは「オンラインお墓参り」のニュースが取り上げられていました。私も、当日来れない方々に向けてZOOMでの中継も少しだけ考えましたが、今回は準備ができず残念ながら見送りました(汗)。

多分、四十九日や一周忌などの事前に決めた法事などでは、オンラインでの中継は有効なのではないでしょうか。

私もやってみる予定です。


今のCovid-19の影響で、移動の制限や物理的な接触の制限がかかる状況は、しばらく続くと思われます。

その事によって得られた知見としての「オンライン化」の流れは、いくつかの社会的習慣の変化をもたらします。


今年のお盆で取り上げられた「オンライン墓参り」は、以前からも高齢者の移動が困難になっている中で望まれていたサービスだと思います。それがCovid-19の影響でとんでもなく加速された。

「お墓を見ながらお参りをする」体験を、完全に行う事はできないまでも、モニター越しにお墓を見ながらお参りする事が可能になったのは、素直に良いことだと思います。

もっと言えば、「気楽にお墓参り」が可能になる。
年命日でも月命日でも、自分が思った時にお参りできるサービスの実現は、死に対する家族の考え方も変えるように思います。

もちろん、実際に行ける事、実際に相手の顔をみて拝むことで得られる体験は数段上だと思いますが、世の中には「まったく」できなかった事と「完全に」できた事の間のどこかのレベルで実行する方が良いものが多いと思います。

私が専門にしているロシア生まれの問題解決理論TRIZでは、そういう解決の方向性を「アバウト原理」と言います。


今、自分が「あきらめている事」を「完全な状態」で実現した状況を思い浮かべ、その完全な要素の中で実現できそうな事を「いくつか」やってみる。

そんなことがWithコロナ時代には求められるように思います。


創知堂は創造的な問題解決をご支援いたします。

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