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#037 努力について

皆さんこんにちは!
Physical Edu.のホンダです🏀

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『努力は必ず報われる』『練習はウソをつかない』などのいいセリフが至るところで飛び交っています。しかし、結論から言うと努力が報われるとは限りませんし、練習も平気でウソをつきます。今回のテーマは『努力』についてです。

※僕が個人的に思うことがあるのですが、あまりいい表現ではないかもしれません。この先を読むにあたって僕の性格の悪さが露呈されますがあらかじめご了承ください!


努力した過程が美しい?

(諸外国の様子を知らないので僕が知っている世界だけで “日本では” と限定させていただきますが...)日本では、努力をしている姿そのものが美しいとされて大きく評価されます。「頑張るその姿が美しい!」「結果はどうであれ努力したその過程に意味がある!」「頑張ったんだから結果はどうでもいいじゃん!」のような聞こえのいいセリフが往々にして飛び交います。ですが、それに関して僕はあまり気持ち良くありません。頑張ることを否定したいわけではなく、努力が必要ないというわけでもなく、結果に結びついていないのであればそれは過度に評価されるべきものではないと思っているからです。

どこか我々は自分の頑張っている姿、努力している姿を誰かに見てそれをしっかり評価して欲しいという願望を常に持っている気がします。しかし本当に評価される べきはしっかりと結果を残した人間であるべきだと思うのです。日本では、結果を出せてもそれまでの過程が素晴らしいものとは呼べない姿(サボったり、取り組み方が美しいものではない場合)であればその人の評価は下がります。これはなんだかおかしな話だと思いませんか? 個人的にやはり日本の努力に対する考え方が甘いのではないかなと思っています。そもそもの話ですが、『努力をすること』って当たり前のことだと思うんです。それって、なにも一部の人にしかできない特別なことでもなければ、何か自分の目標や目的があるのであればやって当然のことだと思います。多くの人が努力を特別なものとして考えすぎです。

アニメ『クレヨンしんちゃん』に出てくる野原ひろし の言葉にこんなものがあります。

努力することというのはウンコをすることと同じだ。
踏ん張ること。
毎日すること。
水に流すこと。
その姿は決して人には見せないこと。

まさにその通りなんです。自分のやりたいことがあって、そこにいて、それをやっているにも関わらず、その姿を評価して欲しい!というのはすごく自分勝手な願望だと思いますね。『努力』というものを認めてもらいたいという願望があるのであれば、結果を出す以外に方法はないのです。

また、自分で努力をしていると思っている段階は本当に努力しているとは言えないとも思っています。 「こんなに頑張っているのに...」「これだけ努力しているのに...」「あの人よりも頑張っているのに...」そう思っていることもまたどこかお門違いも甚だしいです。頑張っていると判断するのは他人であり、自分ではないので す。自分に酔っているうちはまだまだ行動できます。今自分が思っている以上に、自分はもっとできるはずです。どこかで認めてもらいたいという欲が先走ってしまうので、まずは淡々と活動を続けて、何かしらの結果を出すことが先です。


(方法として)間違った努力をしない

努力は、何か成果を出すために行うものだと思っています。しかし、成果は必ずしも努力の時間に比例するものではありません。ただ時間だけを消耗していくだけの ”努力に似た何か" を続けていくと自分の成⻑速度を著しく遅くしてしまうため、非常に時間がもったいないのです。

語弊がないようにお伝えしておくと、『間違った努力』というトピックですが正直なところ『間違った』 という表現は的確ではありません。間違いか否かの判断は個人の主観によるものですし、正誤については結果論だからです。
(※意味がないことって多分ないんですよ。それに関してはエピソード030「無駄なことってないらしい」をご覧ください。)

『間違った』ではなくて、どちらかと言うと『不適切』という表現の方が合っているのかもしれません。"不適切な努力" をすることは、目標達成までの過程において無駄な時間となり、それが結果的に『間違った努力』 だったと自分が思ってしまうのです。努力することは自分自身の目標達成のために絶対に必要なことです!  ただ注意すべきポイントは、その努力の仕方なのです。

たとえば、短距離走を早く走りたい!と思っている人がいるとします。その人がスプリントを繰り返すようなトレーニングではなく、マラソン選手がやる⻑距離走を繰り返すトレーニングを実施している場合、その人は短距離走を速く走れるようになるでしょうか? 結果はおそらくNOに近いと思います。

しかし、その人は「自分は毎日 10km も走っているのだから、きっと100m を10秒台で走れるようになっているはずだ!」と思っていれば、その人にとってはしっかりと目標達成のためにその人なりの努力を繰り返していると思います。しかし客観的に見ると、おそらく誰しもが適切な努力ではないというはずです。これくらい極端な具体例であれば、その人が行っている努力によって、その人が望んでいる結果に近づいていけるかどうかはおおよそ検討が付きますよね。

しかし、これが自分事になるとその判断がつかないのです。だって自分では正しいと思ってやっているので、そりゃ分からないんですよ。だから、常に自分の目的を見失わないような何かが必要なのです。その目的を見失わなければ、今自分のやっていることがその目的を達成するために適切な事なのか客観的に判断できるのではないでしょうか(最初は超難しいけど...)。

その判断を経て、適切な努力だと自分で理解できれば、あとは継続していけばいいのです。『継続は力なり』という言葉がありますが、僕はそこに枕詞のような前置きがあると思っています。

『(適切な努力の) 継続は力なり』です。

不適切な努力をいくら継続していても大きな力にはなりません。この不適切な努力こそが、今回言いたかった間違った努力です。「これだけ多くの時間を費やしたから...」「誰々よりも頑張ったから...」「これだけ努力をしたから...」と思っていても、その費やした時間(努力)の内容についてはほとんどの人が振り返らないのです。費やした時間の内容は適切だったのか、欲しい結果に見合った努力ができていたのか、常に矢印を自分に向けて考えていく必要があります。

「努力は必ず報われる」「練習はウソをつかない」これらの言葉にも大前提となる先っほど紹介した枕詞みたいなものがあることを忘れないでください。


以上、『努力について』についてでした。

何か参考にしていただけると嬉しいですし、全く参考にし ていただかなくてもそれはそれで OK です。そして、信じるものは自分で決めてください。

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