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舞台「BIRTH」感想(ネタバレあり)

プレスリリースによるところでは、
この作品は「愛」を求めて彷徨う男たちの物語なのだそうだ。

この作品には「愛」が溢れていた。

観劇して、私は、どうやら自分は「愛」という概念に幻想を抱いていたようだし、現在進行形で幻想を抱いている。そんなことを思った。

今までは、「愛」は様々な形はあるが、もし具現化できたなら、きっと美しいものに違いないと。なんとなくそういうことを思ってきたのだけど、今は、別のことを考えている。

「愛」はきっと定位することはできない。

私たちは命名できない「その感情」を便宜的に「愛」と呼んでやしないだろうか

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他作品で、私の2大推しキャラを演じているのが梅津瑞樹さんと北園涼さん。そのお二人が共演するってんで、これは絶対に観に行きたいなぁってことで行ってまいりました。
10/11の公演と、10/17の公演で感じたことをまとめてみました。

この文章を書き始めたのは10/21。
今夜は大千秋楽公演があります。
現地には行けないので配信での観劇です。これを書き終えてからアーカイブで見る予定です。

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▽私視点での「BIRTH」のあらすじ

特殊詐欺グループの構成員だったユウジ(演:杉江大志)は、
ヤクザへの上納金を横領したことがバレ、追われる身となった。
ヤクザから逃れるためにわざと強盗を犯し、数年間刑務所に入ったりもしたが、
追及の手を振り切ることは叶わず、
結果、1千万円のみかじめ料をヤクザに払わなくてはならなくなった。

ユウジは1千万円を稼ぐべく、
裏社会で、良い仕事をすると話題の情報屋オザワ(演:北園涼)の協力をとりつけた。
そして、かつて同じ詐欺グループに所属していたダイゴ(演:梅津瑞樹)も仲間にするべく声をかける。

ダイゴは幼馴染のマモル(演:後藤大)と、ガールズバーを立ち上げるため、
覚せい剤(に見せかけたハイポ ※熱帯魚を飼育する時の水に使うアレ)を闇取引する…という、
詐欺と薬物売買にどっぷり染まった生活を送っていたが、
ハイポに固定客はつくことはなく、また、売上金もダイゴがよくスロットで使ってしまうので、金は一向にたまっていないようだった。
ダイゴはユウジの誘いに乗り、そしてマモルもそれについていく形で仲間に加わる。

廃墟になった舞台に集う、4人の男たち
山盛りの携帯電話個人情報のリスト。
オザワの指示のもと、「オレオレ詐欺」劇場が幕を開ける。
しかし、電話の向こうの声の主は、思いもよらぬ人物で…


●舞台の外でのソーシャルディスタンス

会場のよみうり大手町ホールは、読売新聞社ビルの3Fにある。
2Fから上るエスカレーターの手前で
検温(センサーによる検温)
手の消毒(セルフサービスではなく、消毒用のアルコールスプレーを持っていうスタッフがいて、両手に吹きかけてもらう)
靴裏の消毒(消毒マットが置いている)
…を行っていた。

チケットの半券は、観客自身でもぎって指定の箱に入れる。
スタッフはいずれもフェイスシールドを装着していて、観客もマスク着用必須。
座席は1列目を潰していたので2列目が最前。
終演後は座席列ごとに退場規制。
…という感じだった。


●演者と観客のソーシャルディスタンス


演者同士はわりと「密」だったけど、演者と観客の距離感は徹底しようとしていた。
先述の通り、観客席は1列目を潰していたし、舞台もへりまで使うことは無かった。
舞台手前側にチョークで描かれた線路のような装飾があって、演者はそれを越えてくることは無い。
観客席と舞台とを分断するそれは、やはり所謂「第四の壁」というやつなのかもしれない。

一ヵ所だけ、その「第四の壁」を越えようとする芝居があっておもしろかったなぁ。

ユウジが自らの武勇伝(という名の犯罪歴)を語るところで、
彼はポケットからマウスシールドを取り出して装着する。
明らかに、観客に向けて語るための道具であった。あのワンシーンになんらかの意図的なものがあった。それが何かは今のところ分からないけど。

あの時のユウジは、最前のセンターの観客をガン見していたように見えたが、実際どうだったんだろう。
杉江さんのユウジは眼力が半端ないので、気圧されそうだなぁと私は思っていた。


▽「おかあさん」

「おかあさん なあに おかあさんて いいにおい」という歌い出しの童謡がある。
その曲がこの作品の中で印象的に使われている。
(あの歪んだギターソロの「おかあさん」には大層心抉られた)

しかし、この作品には、大いなるソーシャルディスタンスが横たわっている。
「おかあさん」と繋がれるツールは電話だけ。
電話の向こうから女性の声が聞こえるだけで、温もりは与えられることは無い。「いいにおい」なんてわかるはずはない。

この作品に登場する4人の男たちはいずれも母親の「愛」に飢えている。

ユウジの母親は恋人に溺れて彼をおざなりにしたし、
ダイゴの母親は幼い彼と兄を置いて出奔したし、
マモルは母親の顔を知らないし、
そしてオザワも、母親の温もりを知らないかもしれない。
劇中では語られなかったが、彼の母親の眼差しは、重度の障害を抱えるという彼の兄に注がれていたのではないだろうか。

終話ボタンを押せば容易く途切れるその女性の声に、
母の温もりを知らない男たちは心かき乱される。縋ろうとする。
いい年した大人の男が、まるで迷子になった子どものように右往左往する。

その「おかあさん」が本当に母親かも分からないのに。

最後に、ある人物が「おかあさん」に1つの問いを投げかけたが、
その答えは提示されることは無かった。
私はあの答えが希望ならいいと思う。
この作品はパンドラの箱のようだと思ったから、絶望を浴びた最後には希望が残っていてほしい。そう思った。

▽きれいなものなんてなんもない

この作品には絶対的な正義は存在しない。
きれいなものなんてなんもない。
だからこの作品を観る私は、感情移入しやすいものに肩入れして、見たいものを見たいようにみる。
そのことに観終わってから気付かされる。

 ①ダイゴ(演:梅津瑞樹)の「人間らしさ」

「おかあさん」からオレオレ詐欺で金をむしり取ろうとする時、

「なんで俺なんだ!俺じゃなくても、他にいくらでもいるだろう!?」

とダイゴは叫ぶ。

鼻の頭を真っ赤にして嘆願するダイゴ。
彼の苦悩が極まった表情には、
感情を引きずられて思わず泣きそうになった。
私は、梅津さんの芝居に訴求力を感じている。
(どんな悪役だとしても憎み切れない。善き役なら心酔してしまう。もしヴェニスの商人のシャイロックを彼が演じたらどうなるかとても気になっている)
…それが、あそこでめちゃめちゃ活きているように思った。

(11/17の夜公演、この辺りのシーンで、
梅津さんの髪の毛が目の辺りに被さってまとわりついていたんだけど、
それをかき上げたタイミングも良ければ、その直後の表情も良かった。あの瞳が良かった。ライトを受けてきらめいた涙がきれいだと思った)

しかしな。
「他にいくらでもいるだろう」
「他にいくらでも」と言うところで、
ダイゴが観客席をずらっと指さしたのは無視できなかったし、

「おかあさん」が息子の為にどれくらい金を振り込んでくれるのか試してみたい、と言う言葉も理解できなかった。
(彼はスロットを好んでいたのでギャンブラー気質なのかもしれない)

すべての事が終わった後の
「あいつ、殺されるほど悪いやつじゃなかったよな」
というセリフも腑に落ちなかった。

ダイゴの人物像がイマイチ掴めないでいる。

「人間らしく矛盾をはらんだ」といえばそこまでだけど、
人は人、自分は自分。なタイプなのか。
波風立たせるのが嫌いなのか。平和主義なのか。刹那主義なのか。軽薄なのか。愛情深いのか。来るもの拒まず去る者追わず?
「のど元過ぎれば熱さは忘れる」タイプなのか?

分からないけど、これだけは分かった。
彼は母の「愛」を欲しているけど、既に向けられている「愛(ユウジの執着、マモルの献身)」には鈍感だし、あるいは見て見ぬふりをしている

 ②ユウジ(演:杉江大志)は駄々っ子

ダイゴが複雑怪奇だとしたら、
ユウジはものすごくシンプル。

ユウジは駄々っ子だ。
身体だけは大人の駄々っ子は、どんな手段を使ってでも欲しいものを手に入れようとする。
相手を自分の思い通りにしようとし、自分を「愛」で満たそうとする。
(というか、ユウジにしてみれば相手が自分の思い通りに動くのは当たり前のことだ)

冷蔵庫をビニール傘でバシバシ叩いていたあれも
「俺を見て!」「俺を愛して!」というピュアな感情の発露だ。
ユウジはたぶん愛に飢えていて、
暴力を振るい、脅すことでしか愛を乞うる方法を知らない。のかもしれない。

そして、ユウジはダイゴに執着していて、マモルを疎んじている。
ダイゴがユウジに反論する時、彼は「ケンカ売ってんのか?」と言う。
簡単に「殺すぞ」とは言わないのだ。
それはたぶんダイゴへ執着し、依存し、そして「愛」しているがゆえ。
だから、ダイゴを自分から奪うかもしれないマモルには常に牙をむいている。マモルは気付いていなかったが、彼がダイゴに話しかけている時、
ユウジはすごい顔で睨みつけていた。
まるでお気に入りのおもちゃを取り上げられた時の子どものようだったよ。

 ③マモル(演:後藤大)の理想と現実

マモルはダイゴを慕っている。
(※プラトニックとエロティックの両方の意味で)
マモルはダイゴに「何でもしてあげたい」と言う。
知識を与えることもあれば、話を聞いて苦悩を受け止め、安らぎを提供する時もある。
マモルは女装して薬物取引をすることに積極的ではなさそうだ。
これは私の想像だが、たぶん彼は「ダイゴと一緒にいるため」に犯罪に手を染めるのではないだろうか。
献身的だし、きっとマモル自身、ダイゴに対して善き存在であろうとしている。

けど、時には彼も自らの望みを叶えるために力で相手を屈させようとするし、「何でもしてあげたい」はずのダイゴの命に危険が迫った時は、頭を抱えて震えていた。

 ④オザワ(演:北園涼)だって悪人

オザワは「愛」ゆえに復讐の人であった。
彼のやろうとしている復讐は、一見正当性があるように思えるが、
裏社会の人間であるユウジが、仕事の協力を依頼する者がいるとすれば、只の一般人のわけがない。
オザワがユウジたちのところにたどり着くまで、様々な悪事に手を染めていただろうことは想像に容易い。
おそらく、彼も自分の利益のために誰かを踏みにじっているかもしれない。


▽オザワの感情の話

私はつくづく感情が見えにくいキャラクターに魅入られてしまうタチらしい。
この作品においては、オザワの訳アリっぷりが気になって気になってしょうがなかった。
北園さんの厭世めいた佇まい(立っている、というより、漂っている、と言うべき趣きがあった)に視線を奪われていた。

オザワは復讐をするために、ユウジたちを探していた。
しかし、劇中では烈しい感情にまみれて目を欄欄とするようなことはなく、
ほぼまったく感情の起伏を感じられなかった。

冒頭、「治りかけの傷を自分でこじ開けるような(※うろ覚え)」…と彼は言っていたが、復讐の感情にひたりすぎたあまり、麻痺してしまったのか摩耗してしまったのだろう。

だからこそ、彼の感情が人並みに蘇ったり煌いたりするところには惹きつけられる。

金を欲しているユウジが、オザワの提案に乗った時の「笑い」(笑い、だし、哂い、でもある)だったり、

「……なんて?」って言うところ。きょとんとした「戸惑い」の表情、

墨汁をぶちまけたようなどす黒い「怒り」の感情。

そして、ラストシーンの、慟哭

脳が感情を処理の限界を越えた時、人は涙を流す。
でも、オザワのあれは泣き声というより鳴き声のような気もしている。
生まれたばかりの赤ん坊が上げる鳴き声のようなもの。
ありとあらゆる感情の元になる、原初的なもの。
そんな慟哭に思えた。


▽どうしてオザワはダイゴを見逃したか?

文脈的に考えると「自分とダイゴの家族構成が似ていたから」が模範解答かもしれないが、

そもそもオザワの目的が復讐なら、そのタイミングはいくらでもあったはずだ。
それこそ出会った瞬間に殺すということもできたはずなのに、
彼は何かを見極めたかったんだろうか?

2度目の観劇の際、アーミーナイフで刺そうとする直前のオザワに、
何か劇的な感情の変化はあっただろうか?と思って、意識的に北園さんを目で追っていたけど、

いや、わからなかったよ。
そもそも帽子被ってたし。

わからなかったけど、もしかしたら、最初からずっとオザワの魂は煮えに煮えていて、あとは吹きこぼれるだけだったのかもしれない。

さっき

復讐の感情にひたりすぎたあまり、麻痺してしまったのか摩耗してしまったのだろう。

…と書いたが、果たしてどっちなんだろう。


●指パッチンについての所感

序盤のオザワが「躍る」ところ、初めて観た時びっくりした。前方の席で見るととっても迫力ありますね。

振りの中に指パッチンをするような仕草があったんですが、
北園さんはたぶん指パッチンできないタイプなのかな。完全に「仕草」になっていたので、同じく「できない」タイプの私は勝手に親近感を抱いてしまった。
ユウジとマモルは音が鳴っていた(たぶんあれは音声じゃなく生音)ので、杉江さんと後藤さんはできるタイプ。
梅津さんは分からない。

●推しと女装の話

ダイゴとマモルは半裸で登場して女装する
(たぶん派手な女装をする「ドラァグクイーン」と薬物「ドラッグ」を掛けているのではないだろうか)

…のだけど、この

半裸→女物の服を着る→脱ぐ→いつもの服を着る→メイクを落とす

…というターンで生じるあれやこれやのハプニングが、ある種の日替わりだったのかなぁと今にして思う。

10/11の公演では、「脱ぐ」時に、ダイゴのキャミワンピとアンダースコートが一緒に脱げかけた。中の人の下着が見える所だった。危なかった。
10/17の公演では、「女物の服を着る」時に、ダイゴがキャミワンピを前後逆に着てしまった。
(梅津さんはそのことにすぐ気付いたようだったが、そのまま芝居続行したのが◎)
(杉江さんがアドリブでツッコミを入れていたのも◎)

私は梅津さんに対して勝手に華奢そうなイメージを抱いていたのだが、
予想外にマッシブな肉付きをしていたのでちょっと動揺した。
かなりがっしりしていた。あれは大変羨ましい。

梅津さんはインスタで、自粛期間中に落ちてしまった肉を取り戻している
…と書いていたので、あの筋肉はまだ育つのかもしれない。
真・梅津瑞樹はもっとすごいのかもしれない。

あとね、梅津さんはピュアホワイトがよく似合うと改めて思いましたよ。
白いツナギ姿。あれ、よかったですね。

●メイクオフの話

ダイゴとマモルは、登場時に女装用の派手なメイクをしているのだが、
服を着替えた後、舞台上でそのメイクを落とす。
ウェットティッシュで落としていたんだけど、
わりとガシガシと顔を拭いていたんだけど、
そんな拭き方して大丈夫?まさかそのあと最後までノーメイク?
いやまさかね…
あれはどういうギミックだったんだろう…

●まぬけに見えないスローモーション

スローモーションはうまいことやらないと大層間抜けな絵面になる。

この作品もスローモーションを使うところがある。
アクションシーンなのだが、トップライトをストロボのように激しく明滅させ、バックでは「おかあさん」の唄を流し、その中でナイフや銃を持った男たちがもみ合う。
あの一連のシーン、すごく鮮烈だった。私はとても好き。

アクションシーン終盤でオザワがブリッジよろしく後ろに大きくのけぞるところがあるんだけど、
あれをスローモーションでやるのは腹側筋がだいぶしんどそうだ。
北園さん(と腹側筋)すごいな…と思いながら観ていた。

●冷蔵庫に頭を突っ込む芝居

ある人物が冷蔵庫に頭を突っ込んで号泣するというところがあった。
冷却しきれない熱い泣き声に私はすっかり気圧されてしまった。
あの芝居、びっくりしたけどとても好きだなぁ。誰の発案なんだろうか。

●シーン転換時のバックライトの話

観客へと向けられたライトは文字通り「目くらまし」だった。
ライトの残像が目に残って、直後の役者の表情がうまく捉えられなかったので、2度目の観劇では目を瞑ってやりすごした。
なんで目くらましされたのか分からない。なぜ暗転じゃなくてバックライトなんでしょう。教えて演出家さん。

●雪かごの話

終盤、演者自らが、雪かごの紐を引っ張って、舞台に紙吹雪を降らせるというところがある。
紙吹雪の作りが均一じゃないのが面白くてぼーっと見つめていた。
(たまに「降って来る」のではなくて「落ちてくる」ものがあるのだ)。
映画のエンドロールを見ているような気分だった。
たぶん、あのシーンはクールダウンの役割もあったように思う。


●大千秋楽に期待していること

オザワの哭き声かな。
1回目に観た時は、あぁきっとこれはこれから変わるんだろうなぁという予感があった。
2回目に観た時は、こうなったらいいなぁという方向に寄ってきた。うれしかった。
たぶん、あの哭き声の表現は大千秋楽でも変わっているんじゃないかなと思う。


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この舞台、色々考えを巡らせることができて私は楽しかったです。
もし違う意見があったら聞いてみたいなぁと思っています。気軽に話しかけてください。匿名で連絡したい方はマシュマロからどうぞ。

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