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Q:自分軸って何だろう A:わからん…

「点と点を繋げると線になる」
この言葉を耳にすると、シンプルすぎて何当たり前のことを言っているんだろう…と言葉には出さないけど、心のどこかで思っていた気がする。
この言葉以外にももしかしたらあるかもしれない。

シンプルな言葉にこそ、その中に含まれている意味は無限にある。
それが昔から伝わってきた言葉ならなおのこと。

言葉を腹落ちさせていくうちに、そこにはいろんな要素が含まてれいて、今まで聞いた言葉の中でも、どんな意味が内包されていたんだろう…と考えるようになった。

言葉にしてしまうと味気ないと感じるけど、その一歩奥に(その思いに)足を踏み入れると、びっくり箱のようで、自分の中には無かった発見がたくさんあるし、叡智が詰まっている気がする。(そう、あたりめのように。見た目はジンプルだけど噛めば噛むほど美味しいw)

言葉の奥を読み取ることはその物事を知る上で、その人を知る上ですごく面白いことだと思う。
一見何が面白いかわからないけど、なんとなく面白そう!と感じるのは無意識に奥にあることを感じているから

奥にあること

奥にあることとはかぶった猫の中、鎧を剥いだ先にあるもの。目に見えないけど感じる・わかる何か。本質であり、軸であり、剥き出しになった心なのかなぁ…
それを感じるためには、観察、深層心理、潜在意識、想像力、分析、パターンとか色々と関わっていてそれを総合的に判断して、感じるものだと思う。第6感かもしれないし、直感かもしれない。

目に見えない何か。

前提として、私は自分以外の人とは体験は共有できるけど、感覚は共有できない。と感じている。
似た感覚はあるかもしれないけど、自分が感じるのと同じように相手が感じているかなんて本当のところはわからない。
(思いやって、想像して、仮定して、、、色々して、こんな感じかな…ってレベルだと思う。でも、そのあやふやさを減らすために言葉と尽くして、場面を想像して、感覚の差を埋めて行く努力をしているんだと思う)

目に見えない何か(形のないもの)。それは、認識するのが難しい。
だって、形ないものを自分以外と共有するためには、前提条件が超大事になってくる。
形あるものは目で見て物質的にこうと共有しやすいし、人は何でも物質的に認識しがち。→物質的とは五感を駆使して、理解して認識すること
自身が目に見えないことを認識していると気が付くことから始まる。

それでも、違いは出てくる。(同じ五感を使っているのに?と思うかもしれないけど、その五感も元々のスペックや育った環境、年齢や精神状態、体の状態とかいろんな要因が大きく関わってくる)

”目に見えない何か”は外側から内側から形を形状を感覚を何かをゆっくりと浮き彫りにさせて、認識していく必要がある。

意味として、考え方として、感じ方として、ものとして、価値として、位置づけとして、、、、いろんなバロメーターがある。

そのバロメーターは確実に自分の中にしかないし、全く同じものは存在しない。
自分以外の人と比較することで、似たようなものを感じることはあるかもしれないけど、それは滅多にない貴重ことだと思う。それに自分の中でだって、全く同じというものは存在しないと思う。(あの時と似てるな…や、同じかも…、限りなく同じに近い…はあるけど100%の完全一致はない)

バロメーターを、価値観を、定着させるにはやっぱり自分の軸が感覚がしっかりとあることが必要だと思う。そして、自分以外の人はこう感じるけど、私の場合はそう感じると、違いを認識することも大事。
前はこう感じたけど、今は違う感じ方をする。過去の自分との比較も超大事かも。

価値観と自分と

私はこうして文章にすることによって、何とか自分の軸を形にしようとしているんだと思う。
たぶん、軸は今まで積み重ねてきた何か。それに気づけているか、意識しながら生活できているかが鍵な気がする。
軸が何か、もややーんと見えてきたような気がするかもしれないし、しないかもしれない。(→たぶん、途中経過は自分ではわからないと思う。気づききってからじゃないとはっきりと認識できない。)

雲を掴むように、力任せに掴もうとするとすり抜ける。ただ、そこにあるものとして認識していくしかないのかもしれない。
”こうだ!!!”と思ってしっかり見ようとしてもなかなか見えないし、掘り進めても、形を形成しても、意外と脆く崩れ去る。
確かで確実にしっかりとした軸が欲しい見つけたいと思っているから柔軟性もへったくれもないものを軸と仮定しがちなんだと思う。

軸になりそうなものは、たぶん心に響いたことや興味関心があるもの・あったもの、ずっと変わらずに自分の中にあるもの(→ずっとあるものはあるのが当たり前だからめっちゃ気づきにくい)。
気づいたり、見つけたりしたら、ひとつづつ書き加えていき俯瞰する。ただただコツコツと。その繰り返しだ。
うーん気が遠くなりそうだ。でも、やってったら、気づいたら腹落ちする瞬間がある気がする。たぶん、そう確信して、とりあえずやっている最中。
やっぱりやってみないとわからないことはたくさんあるなぁ・・・

軸って積み重ねてきたものの中にあるはずだから、一度いろんな方向・距離から、様々なものを通して自分を見つめていく必要があるのか…

極端から極端に。

自分の見つめ方はなるたけ、極端に?
もの凄く深く掘って、もの凄く離れてみて、北極行って、南極行くみたいな…
質感や細胞・素粒子まで近づいて拡大してみて、社会まで・地球まで・宇宙まで、離れて俯瞰して流れを意識してみる。

それを知って初めて中庸がわかるって言うし。その場合の中庸って自分の中でバランスが取れているところだと思うし、そこって中心だから軸がありそうじゃん。



(主にメンタルが)大波乱になるであろうと予想される9月をどう乗り越えるか…

たぶん気づいたら終わっていて、変わっているんだと思うけど、スムーズに変化・変容できるように備えていけたらいいな・・・

まあ、楽しんだもの勝ちだし。楽しもう。

最後に

読み返すとあれ???と思う箇所が多々ありますし、話が飛んでるな…と思うところもあると思いますが、私の頭の中の連想をそのまま書いており、整理できないのでそのままです。書くと自分の中は自身が思っていたよりも混沌としていて、次から次へと解決しないまま流れて行くんだな…と思いました。
ある程度まで考えて、次の機会をまっているような気がします。思考を発酵させる。もしくは思考という種を植え、目が出るのを待っている。自分にとって良きタイミングでその答えがわかるんじゃないかなぁとのんびり構えています。

最後までお付き合い頂きありがとうございました!
明日が楽しい1日になりますように
何でも、楽しんだもの勝ちです!😆

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