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Twitterをやめて一年半が経ちました

Twitterを始めたのは、同じ双極性障害を持つ人たちがどんなふうに日々暮らしているのか知りたかったからです。自分も日々の体調の上下をツイートしたり、お互いフォローし合っているお仲間の様子を読んだり、いいねしたり、時にはDMしたり、楽しく毎日続けていました。いつしかフォロワーは600人を超えていました。

ただ、多くの人が言うように、Twitterは私が思う以上に私の生活に深く入り込んでくるようになりました。

朝起きればTwitterをチェック。スマホを手にすればついチェック。自分にどれだけいいねが付いたかが気になってチェック。なんだかんだで、一日に何回もTwitterをスクロールするようになってしまいました。

これではいかんなぁと思い始めていた、ちょうどそのとき。お互いフォローしているお仲間が若くして乳がんを患われたとツイートがありました。それを読んで、私の心は強く揺さぶられました。

私も母が乳がんで闘病した経験があります。幸い、母はすべての治療を終えて元気になりましたが、母に乳がんが見つかった時のショックや、その後の大変な治療のことなどをいちどに思い出し、会ったこともないそのご本人やご家族がどれほどショックを受けられているかと色々想像し、もうたまらなくなりました。

家事をしていても、お風呂に入っていても、見ず知らずのその人のことが心配で心配で、辛くてたまらない。

そして、本当にこれではいかんと我に返ったのです。名前も知らない、本当に存在するかどうかも分からない人の人生に自分の心が左右されるのはとっても不健康なこと。もうやめよう。

その女性の「検査の結果、他に転移はありませんでした」という報告を確認したあと、きっぱりとTwitterをやめました。

そもそも、見ず知らずの人の「今日はメンクリです」みたいな情報、いる?改めて自分に問うてみたら、答えはもちろんNOでした。

それから一年半が経ちました。何も不自由していません。むしろ心地よいし、Twitterを無意識にスクロールしていた時間をもっと良いことに使えるようになりました。

最近、消しゴムハンコを作っているお友達が作品をTwitterに投稿しているので、それを見るために時々Twitterを開きます。それも、アプリではなくブラウザを使います。そのぐらいです。

同じ見ず知らずの人の書いたものでも、noteの投稿は書いた人の心が詰まっている「作品」なので、読んでいてとても勉強になるし、刺激をもらうし、何より楽しい。

でも、Twitterの「今日はメンクリ」「薬が増えた」というつぶやきは、特に私の暮らしには必要ないようです。やめて良かったし、今後本格的に復活することはないでしょう。

イーロン・マスクさんが「日本はTwitterの最大の市場だ」と述べられたそうです。日本の人口はアメリカの1/3なのに、Twitterの利用者はアメリカと変わらないのだとか。これからこの市場はどうなっていくのでしょうね。私はクールに傍観していようと思います。

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