洗脳が解けつつあるということ

10年ほど前、私は一人の哲学者を研究していた。

それはジドゥ・クリシュナムルティである。

その経緯は、大学の教師がその研究者であり、私は精神的にまいってしまっていた時期にその教授に出会う羽目になってしまった。

私はクリシュナムルティをひたすら読んだ。
そこで得たのは「思考の限界性」「現在だけに生きろ」「完璧に不満になれ」等、彼の名言に酔いしれ、そしてその源水、オカルティズムの本もいくつか読んで、真理というものを追求しようとしていた。

それから5年ほど経って、自分がその思想を受け止めるのに限界が来ていた。私はその教授の矛盾をいくつか追求したのだったが、なぜかその矛盾について周りは気にならない様子だった。ある種の禅問答のようなものが、そこにはあり、つまりは「思考」というものの限界があるから、矛盾が生じているという受け止め方をせねばならなかった。

クリシュナムルティは読むには簡単だが、そこに入るには相当難しい印象の書物だ。「対話」という形式を重んじ、疑問を徹底的にさらってゆく方法も私にはあっていた。だが、その狭いサークルの中を右往左往している感覚に、私は嫌気がさしていたのだろう。

私は卒業後もそのサークルに通っていたのだが、ある日からその教授のサークルに出入りすることをやめた。
そこから離れる必要が、私にはあったのだ。

そのサークルから離れて何年かしたときに、大学の同級生にあの宗教じみたサークルにはもう行かないのかと聞かれた。
私は今は顔を出していない、と言ったのだが、そのときに彼は
「あの先生が「アイツ」もう来ないから、って言ってたんだ」と言った。
私は少々驚いた。
教授は私のことを「アイツ」と読んでいた事がショックだった。
私は教授のことを神聖視しすぎていたのかもしれない。

それから、私は良いことも悪いこともあった。
この、クリシュナムルティがインストールされた頭で社会で生きてきて、相当面倒な部分もあった。

そして、今日。私はなぜかふと、その教授が今でもやっているウェブサイトを訪れたのだ。そして笑った。
そこには占いを信じたりせずに、自立して生きていく旨のことが書かれており、別のページではクリシュナムルティの生まれ日が占星術では特別な日に生まれたことが強調されている。

全くの矛盾のように、今の私には思えた。
そこに、占星術と占いという小さな違いからくる、どうでもいい理論や、自立やグルに頼らないで生きるという文言の陳腐さに惑わされないで、私は笑えるようになったのだ。

小さな一歩だが、わたしは、洗脳から解けつつあるのだ。

私は以前漫画を描いた。

全文はこちらで読めます。金はかかりません。
https://www.amazon.co.jp/dp/B09NTQDHL6

それは、この教授との決別の意味を持っている。


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