日記2.5

今日から適当に日記をつけてゆくことにした。
特にとりとめもない事を書いてゆく。

日記をとても内的なものとして考えて、溜め込むようにしていたが、なんだかそれが面倒な感じもあり、ならば公に一応出したほうが文章的にもだらだらとしないものになるのかも、と突然思った。

眼の前には本が適当に並んでいる。
大阪民衆の近世史 塚田孝
荘子 金谷治
<3.11>はどう語られたか 金井美恵子
西遊記 中野美代子
「科学的思考」のレッスン 戸田山和久
物理の歴史 朝永振一郎
言語都市 チャイナ・ミエヴィル
等適当に並んでいる。別に共通項がなく、それらを適当に読み進めている。

最近仕事が少々忙しくなってきており、これらをきちりと読む、というより適当に拾い読みしてよくわからないまま、関連する部分を理解し、悦に浸るのが面白いのだが、全部適当に手を出し、片っ端から忘れていくので、この読書という行為もあまり意味の持たない行為なのかもしれない。

適当に買った本で当たりだと思ったのが、金井美恵子氏の「<3.11>はどう語られたか」。厳しい評論が心地良い。少々真似してしまいそうになる。
西遊記は読めば面白いのだが、壮大なスケールが想像力を上回る感覚が楽しいが、想像力が続かず、そのスケールアウトすると読む気力が萎える。それは荘子にも言えることだ。中国の思想というやつは読み出すと素晴らしいのだが、スケールアウトしだすと想像よりも疑問が勝ち、途中で投げ出してしまう。
戸田山和久氏の言葉は挑発めいていてそれが魅力でもあるのだが、やはり科学とは難解である。学生時代、論文の教室を読んでファンになって、「哲学入門」等買って、何年もかかって読んでいる。

眠いから眠る。

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