ポジティブ人間が白血病になった話(発症編)

 自他共に認めるポジティブ人間のぼくが闘病生活の中で何を見聞きし思い学んだかを前・後編に分けて書きました。この記事は前編にあたります。
 願わくはぼくという人間を知ってもらえる一助にならんことを。
 なんつって。

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 2022年の9月中旬。ぼくは大学4回生の頃に急性骨髄性白血病になりました。

 志望企業に内定を頂き、卒業に必要な単位は残すところ卒業論文のみ、未知の社会人生活と一人暮らしに向けて本格的に準備を進めようとしていた矢先のことです。手足にできた青タン(内出血)がなかなか消えない。ネットの知識を経由して、近所の皮膚科クリニック→大学病院ではっきりと診断を受けました。
 まさかほんまに白血病やとは思わんかったですけど。
 というより、そうでないことを心の奥底で願っていたのか、裏切られた気がしてショックでした。

※世代によって白血病の認識が異なるみたいです。ここでは血液系の厄介な癌であるとだけ認識してもらえれば大丈夫。

 しかし聞けばぼくの白血病は予後良好になりやすい(簡単に言えば治りやすい)型なんだとか。「なんや、なんとかなりそうやん」とか思ったりして、抗がん剤治療への不安など一時は路傍の石ほどの主張もなかったです。抗がん剤で髪の毛が抜けるんだからこの際坊主頭にしよ! 前からやってみたかったんよねー! とか言うぼくの呑気さ。付き添いで来てくれていた母はさぞ呆れたことでしょう。

 で、てんやわんや、入院したその日に化学療法が始まりました。

 治療の詳細はここでは省くとして、正直な感想、もう二度とやりたくないものばかりでした。ぼくという人間はどうも瞬間的な痛みはそれなりに耐えられても、じわりじわりと侵食してくる痛みや感覚はよほど辛く感じるようです。
 特に初期の頃は流石のぼくも参って、こんな思いをしてまで生きて、ぼくは何をしたいのかと問うたことを覚えています。

 でも辛い苦しいだけではなかったんですよね。
 治療にかかった期間はおよそ半年でした。半年のうちの4割は辛い苦しいだったとして、残りは新しい経験と知見のオンパレードで5割。最後の1割は卒論と独り暮らしのための知識集め。いま思うとほんまにアホですけど、当時は本気で退院したら新年度から仕事を始めるつもりやったんです。関西から関東に引っ越して。アホですよね。何考えてるんやって他方から怒られました。
 アホやけど、そのくらい余裕を持ち直せていたとも言えるかもしれません。

※幸運なことに内定を頂いていた企業からは御社長直々に「1年ゆっくり療養したら良い」と内定を保持して頂いていました。その節は本当にありがとうございました。

 病院食、意外にもどれも美味しかったです。食事制限が緩い人に適用される概ね家庭的な献立・味つけが保証されたコースがあったんですが、これが良かった(こってり味付けが好みの人はわからんけど)。
 言いつけを守ればコンビニ飯を食べることも許可されていたので、病院食に飽きても食の幸せはあったし。コンビニ飯といえばそう、ようやく個室に移れた日に喜びと共に食べた久しぶりのカップラーメンはとんでもなく美味しかったです。
 あと病棟の内装は新しくて綺麗でした。設備もしっかり。主治医は腕利き。看護師さんも世代問わず頼れる方ばかり。
 一時退院の度に快適さを求めて持ち込み品をアップグレードしていたので、ともすれば家より快適だったかも。

 そう! 看護師さんってほんまにすごい人らやと思いました。大部屋でご高齢の患者さんの相手をされている様子を見聞きした時や、ぼく自身も散々お世話になって、当時を思い出しては敬意が深まるばかりです。
 「仕事だから」と日頃おっしゃっていたけれど、ぼくは仕事を超えた優しさを度々感じていました。

 忘れてはいけないのは、ぼくが白血病患者の中でもかなり軽度であることです。世界中に、少なくとも同じ病棟内に、ぼくと同じ病気でぼく以上にしんどい闘病生活を送っている人らがいる。
 周りを見て自分の立場を自覚しては背筋が伸びる思いでした。

 そも治療期間が半年で済んだぼくはとても幸運だったと思います。
 大学4回生の秋冬という時間は失ったけれど、卒業資格を取りこぼさずに卒業式を迎えられて、その頃にはある程度外で活動しても問題ないほどに回復して、ぼくはこれからの1年かけた社会復帰に、未来に意気揚々でした。
 支えてくれた家族、温かい言葉をくれた恋人や友人たち、そして敬愛すべき主治医と看護師の方々。ほんまにありがとうございました。



 で、まさか数ヶ月後に再発するとは思わんかったけどな。



 心が折れました。

 ある日アルバイトから帰った深夜、裾をめくった時に見えた自分の足首に点状出血が広がっていた時の焦燥感も、周りに伝えるべきか躊躇ってすぐに切り出せなかったことも、言えた時の親の顔も、恋人の反応も全部、全部残っています。
 意味もなく「どうして」って思いました。これが理不尽かと分かりました。

 理不尽を受け入れる難しさと大事さを、ぼくはこの事を機に深く学びました。

(再発編に続く)


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