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長く長い

初めて会った日から夫は私を肯定した。
付き合うようになってから、自分では可愛げがないと思い、両親からは決して褒められる事のなかった性格を寧ろそこが良いところだと言った。それは今でも。
ビビビなどという結婚の直感は感じなかったが、ここは自分の居場所なのだと心地良い温かさを感じさせてくれた。何より夫と居ると気持ちがとても楽だった。

それはきっと夫が優しい人だから。
そもそもの性格が優しいのだろうけれど、人の良い優しさではない。何事にもあまり動じず、物事を多方面から見て柔軟に対応し、黙って辛抱強くいられるタイプの優しさ。
だからそれとは逆で真っ直ぐにしか考えられず、何かあるとすぐに狼狽えてしてしまう私を落ち着かせようと、取り敢えず優しくする時もあるのだと思う。

その夫が昨年、入院を経験してからさらに優しくなった。
運動不足やストレス解消、あわよくば筋力を鍛えようと始めたウォーキングを一緒に、アウトレットに、植物園に、コブクロのライブツアーに、行きたいところがあればどこにでも連れて行くと言う。(コロナ禍なので実際には出掛けない)
これ以外にも家事を分担、次男猫の世話、メールなどは以前から変わらず。

昨年の病気が夫をやけに濃い優しさに向かわせているのかもしれないと、それを嬉しい事ではなく嫌な事に感じ、本当は喜ばしい優しさを感情がおかしな方向に傾いてそう思えない自分がいる。
その上、検査の日が近付いているせいかこの頃とても敏感で、もう一年近く前の夫の入院、手術を思い出して堪らなくなる時がある。
出来る事なら急がずゆっくり、小出しに長く優しくしてくれる方がいい。病気か何かわからないものに、追われるように急ぐ優しさは苦しいだけだ。

これからの二人の長い長い時間に、季節の花を見ては写真を、コブクロのライブで感動を、認知症予防になるらしい読書を、足腰を鍛えるためにウォーキングを、新しい事を覚えるために勉強を、次男猫の猫育を。

そして二人とも歳を取りいつかおじいさんとおばあさんに。今はまだ想像も出来ない暮らしだけれど、些細な事やくだらない話で笑い、たまには真面目に話し、時々喧嘩して怒ってしまう事があるかもしれないけれど、その時はまた仲直りしようね。
優しさなんて長い暮らしのその時々で感じさせてくれればいいから。元気で仲良く楽しみながら、静かな日々を末永く続けようね。それが私の一番、欲しいもの。



検査の日が決まった。少なくともこの先、数年は続けなくてはならない。
妻として夫の気持ちは理解しているつもりだけれど、時々、ちゃんとわかっているのか不安になる。昨年の手術前のように、夫の本音を引き出してしまうのはどちらにとっても辛い事だとはわかっているが、お互い何も言わずに理解しなくてはならないというのはやっぱり辛い。

出来る事は毎日をただ同じように過ごす事を心掛けるだけ。他には何も思い付かない。
静かな暮らしも嫌な事からも、今までずっと夫が守ってくれたのだから、苦しい事を平気な顔で、夫の心をも受け止められる覚悟と強さを持ち、今度は私が夫の健康を守る番だ。

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