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座学ではこんな話も【作詞家】西條八十・安井かずみ・・・・

2020年から私の講座は座学を多く取り入れました。
歌う時間を減らすことが目的で始めましたが、
それぞれの曲にあるエピソードや
歌詞がどのようなきっかけでできたか、
作曲の様子や期間(時には汽車の中で作られるようなことも)
その作詞作曲を担当した人の生涯など、調べてみると興味深く、
とても好評です。

ある日は
「安井かずみ」とその作品についての内容。
文学の道で行こう!と決めていた西条八十やサトウハチローとは少し様子が違います。
安井かずみさんは
油絵の勉強をしていた学生時代にアルバイト先である
シンコーミュージックで訳詞をするチャンスがあって
それで訳詞や作詞の世界へ入って行ったとのことで
もしもアルバイト先がもっと違った分野のものだったら
安井かずみさんはまた違った道を進んだかもしれませんね。
そうなると数々の作品は?あの歌は生まれなかったかもしれない。
ちょっとした行動の先ににはひろがる未来があるのですね。

そういう略歴などを読んでいるととても興味深いことで
資料がたくさんあって目を通すことで
自分の世界がちょっとひろがるような錯覚をおぼえます。

まだまだ知らないことが多い。
そしていつも思うのが
ちょっと口ずさむメロディー、ふと口から出てくるメロディーは
多くの場合、歌詞があるから
素晴らしい歌詞によってあの素敵なメロディー紡ぎ出されていくのですよね。

今は順番が逆(メロディーが先にできて詩は後から)のことも多いけれど
多くの場合は歌詞ありき。

西条八十(童謡「かなりあ」や「青い山脈」などの作詞)と
中山晋平(砂山・ゴンドラの・シャボン玉などの作曲)が一緒に写った写真があります。
当時、レコード会社では作曲家の方が大事にされ、
作詞家はそこまではなかったという話が。

作曲家はメロディーを作るだけではなく、
レコードにするにはまだその後の工程まで付き合わないといけないことも関係あるのかも。
メロディーができたら編曲。これは編曲が別の場合もあるでしょうが
いざ録音というときになると、
古い録音は楽器の人が一緒にいきなり演奏して録音です。
その指揮を作曲家が担当することもあるし、歌い方に指導を入れたりもするでしょう。
そういう経過を作曲家がしっかり時間を割いて付き合うとしたら
なんとなく作詞家は取り残されたような気持ちになるし
ひょっとしたら待遇も違ったのかもしれません。

そういう色々を想像したりしながら歌うともっと面白いかもしれませんね。

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