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小さい頃の喜び

ふと振り返ってみる。
小さい頃は、どんなことに喜びを感じてただろう?


始まりは「やってみたい!!」湧いてくる好奇心。
道の途中は、もどかしさとはがゆさを感じつつも、ひとり黙々と夢中になって没頭する時間が多く、けっこう好きだった。(学校の勉強は除く…)



「どうやったらできるかな?」
イメージに辿り着こうと、トライ&エラーを繰り返す。
「これが一体、何になるのだろう?」なんて、考えもせず。



ホッピング、ローラーブレード、一輪車、なわとび、鉄棒…
絵を描いたり、歌ったり、人形遊びや、森で遊んだり。
全体的に一人プレーが多く、ひとつに留まった記憶があまりない気がする。小学校から先生の誘いで、バレーボールのチームプレーに加わり始める。



ある日、湧き起こってくる好奇心。
試行錯誤の末ついに「できた!!」感覚を掴んだ時の喜び。



その道は、さらに磨き続けることで極まっていくのでしょうが…
ある程度感覚を味わうと、次へと移り行く。



色々体験できることは有り難い一方で、何かひとつを極めるでもない一貫性のなさや、捉え所のない部分がけっこう悩みでもあった。
双子座の性質も、関係しているのかもしれません。


小さな頃の喜びは、、、
「これができた時の感覚ってどんなだろう?」と心が動いたり、
「湧く → 試行錯誤→ できた!!!」の過程で感じる喜び。


目に見える形が重要というよりも…
育む過程の時間、未知に触れる好奇心。
感じるココロ、喜び、経験、知ることだったのかもしれない。


目標として完成形を目指してはいるけれど、
経験や過程の感覚の部分が実は、けっこう大事だったのかもしれない。


例えば昔やったロールプレイングゲームでも、攻略本を読みながら地道にストーリーを展開させてゆき、後は最終目標のボスを倒すだけなのに、終わりが見え始めると最高値までレベル上げしたり、用もなく好きな街をうろつき始める傾向があったように。振り返ってみると、途中が楽しかったりする。


羊毛フェルトでは同じ物を作り続ければ上達するのでは?…と思いつつ、
新しいものを作ることで、いつも初めての感覚を味わっていたい気持ちがどこかにあった。



もし”体験を通して感覚やプロセスを味わいたい”が根底にあるとしたら。
一貫性のないと思ってた行動、実はずっと一貫していたのか?
表面は成果を求めるものの、奥底は違うような…



そういう意味では、願いは叶っていて。
体験や感覚を内に得ていて、目に見える外の成果(肩書など)
がないと悩んだり、型を求め苦しくなる…



その時々で湧いてきたもの、きたお題。
一般的な”仕事”という括りではないものも。
込めたエネルギーは、時間差で思わぬ形で返ってくるような気がなんとなくしてはいるけれど…まだ未知の部分でもある。



狭く深く、中間、広く浅く、ツールやジャンル、コントラスト
喜びは人それぞれなのかな?迷い、捉え所ないままに思うのでした。




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