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現実エッセイ 番外編 トーキョーミッドサマー2024

 1秒1秒をあんなに噛み締めたのは久しぶりだった。ゆっくりと過ぎてゆく時間。満員のベースメントバーに僕の言葉とカラコルムの音楽が満ちていくのを感じた。僕は昨夜、ストーリーテラーであった。自分が目指す、音楽と物語のちょうど間にいる存在にはじめて成れた実感があったのだ。それは、ひとつひとつの小さな言葉を用いて大きな物語を紡いでいく感覚。そしてその根源にある感情そのものを伝える音楽が、物語世界を立体的に、リアルにしていった。

 僕はあくまで厳格なストーリーテラーとして、昨日のベースメントのステージに立とうとしたし、立っていた。しかし、アンコールでその張り詰めた自意識は崩壊した。僕たちの世界では影を見ることもできないほどの、伝説のヒーローが、目の前に現れたからだ。あの場にいた人間ならわかるはずだが、本当に景色の色が一変した。向井さんの世界が、ベースメントバーを急速に覆っていったのである。

「えらくあなた今日は、ムーディーだね。」

 向井さんがキーボードに肘をつきながら言った。言葉のイリュージョンだ。現実世界では説明のつかない、パラレルワールドに、もしかしたらある種の「超現実」に、あの瞬間飛ばされた。そしてミラーボールが回る。ここは向井さんの世界だ。

 僕はきっと、7年前と同じ顔をしたと思う。子供のようで、だがしかし大人にしか持ち得ない長い時間をかけて膨れ上がった憧れが実を結んだような顔。

 KIMOCHIを演奏している間は翻弄され続け、向井さんの世界で必死に泳ぎ続けた。2018年のリキッドのcold beatの動画についている「スポコン漫画で必死に食らいついていく後輩部員」というコメントを思い出していた。僕たちは圧倒的に文化系部活だったが。

 一番最後のかき回しのキリを、向井さんは僕に任せてくれた。この時間が終わらなければいいのに、と思いながら、そのエゴを整理しつつ、ギターを振りかぶり、カラコルムの指揮をとった。そしてトーキョーミッドサマーは幕を閉じた。

 菊地成孔氏が言っていた。「いつまでも終わらないでほしいと思える音楽こそが、ポップミュージックだ。」と。昨日の音楽はすべて、僕たちの、そしてあの場にいた全員のポップミュージックだったのではないだろうか。

 向井さんは僕たちひとりひとりと握手をしてくれた。そしてカラコルムの山々の4人を舞台上に残し、大歓声の中、向井さんは寂しいほどあっという間にステージを去った。粋な去り際だった。あえてここで月並みな表現を用いるが、あの背中は、本当にかっこよかった。

 また必ず、向井さんと同じステージに立ちたい。立てるように、我々はカラコルムの山々を、K2の頂を目指す。雲の遠くに、少しだけ鋭く尖ったK2の切先の影が見えたような気がした。

それから、

向井秀徳の目は、とても優しかった。

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