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野球選手はサッカー選手に転向できないという例えは的確なのか?

経営共創基盤の冨山和彦さんがちょっと前から使っている例え話があります。
ジャイアンツの菅野や坂本が今からどんなにがんばっても、サッカーをやっているクリスチアーノロナウドのようにはならない、と。

グロービスさんの知見録やNewsPicsの動画でも見かけました。

冨山さん自体は切れ味鋭い論説で、いつも面白いと思っていますが、この例えが目指していること、表現しようとしていることは、いくつか疑問が湧きます。

疑問が湧くと共に、考えていくと日本企業のあり方を再考できるような気がします。

冨山さん、キッカケを与えてくださってありがとうございます。

私の理解では、野球からサッカーには簡単に転向できないという冨山さんの例え話は、技術の専門性が増して、日本型雇用ではイノベーションを起こせないという文脈から来ているように聞こえています。

なんの因果か、ここ20年ほど日本の大企業の人事部さんとお話する機会が多くなっていて、関連する制度や法律にも一般の人よりは詳しくなってしまったので、その立場で考えられる掘り下げをしてみます。

今、メンバーシップ型からジョブ型へとシフトする大手企業の動きが報道されています。
その流れでトヨタの豊田社長も終身雇用の限界を発表しています。

では、その他の大手企業が一気にジョブ型雇用に舵を切るか?
大手企業の人事部さんの話を聞くと、そんなことはなさそうです。

ジョブ型雇用の定義にもよるところがあり、「ジョブスクリプション」を書くということだけでジョブ型と呼ぶのであれば、多くの企業が取り入れてもおかしくはありません。

実際に職務主義という形で過去にトライアルした日本の大手企業もありました。

ただ、それは北米の企業で行われているジョブ型雇用の姿とは異なります。

本来のジョブ型雇用の前提は雇用の期間契約とパフォーマンス評価にあると思われます(ちょっと乱暴すぎますかね💦)。

ジョブスクリプションの記述に合わせて、社内外から人を探し、そこにはめ込むのがジョブ型雇用の真髄。パフォーマンスが出ていなければ、報酬を下げて退職もしくは奮起を促すか、もっと酷ければ解雇し、新しい人材を入れやすいのがジョブ型の北米における運用の仕方。

企業からするとパフォーマンス重視で結果を出してもらいやすい制度であり、個人にとっては、自分の取り組むべき仕事や勤務地が契約で守られるので、双方にメリットがあります。

とはいえ日本においては労働基準法という法律があります。

労働基準法が不利益変更を簡単には許さないですし、解雇も視野に入るようなリスクのある雇用形態は、多くの日本人が望みません。

一方のメンバーシップ型雇用は別名で「無限定正社員」とも言われ、職種も勤務地も限定しない変わりに雇用の安定が確保されます。

これ、バックグラウンドにある労働基準法が日本国内では強烈に効いています。
簡単に解雇できない法規制があることで、日本国民の心理的安全性が保たれている部分もあり、雇用契約上期間契約を明記していないと、余程のことがない限り雇い止めはできません。
なので、せいぜいできるのは希望退職を募るくらい。

その期間契約も法改正によって5年経ったら、被用者側に無期転換権が生まれます。
さらに、この春(2020年4月)の同一労働同一賃金の法改正によって、正規、非正規の雇用者間の待遇格差をなくすことが求められるようになっています。

これ、ジョブ型が前提とするであろう有期雇用には不利ですよね、明らかに。

誤解を恐れず言えば、ジョブ型は、より高度な技術を持った人が短期的に高額な報酬を受けとることに向いています。
まさに、プロ野球選手とプロサッカー選手の世界。
それ以外は雇用する側に有利な形態です。

夢のある世界ですが、多くの労働者はプロスポーツ選手のようにはなりません。
怪我をしたり出番がないとクビが待ってるというのは恐怖です。
ビジネスでも外部環境、内部環境それぞれ理由があって、個人の頑張りだけでは結果がでないことがあります。
人間の本質的な欲求として安全を求めるのが順序の先。

その本質を反映している労働者に優しい労働基準法という法律は簡単には変えられなそうです。
いいとか悪いとかではなく、人間が本質的に持っている欲求に添っているので変えづらいのです。
日本企業が本気でジョブ型への転換を推進するのであれば、労働基準法改正に動かなければならないですが、恐らく最大の壁は国民になるだろうと思います。


もちろん、自信があって、腕もあって、ジョブ型雇用を希望する、その選択肢があることはいいことだと思います。

そういう技術を持った人が人件費という形で企業の投資を受けて、イノベーションを起こすことは社会にとって重要なことです。


一方でイノベーションというのは、ジョブ型雇用でないと生まれないものなのだろうかと考えてみましょう。

イノベーションにはいくつか種類がありそうです。
基礎技術、研究によって生まれるイノベーション。
ビジネスモデル的、デザイン的イノベーション。

Google,Amazon,Facebook,Apple,Microsoft

日本の総合電機メーカーが起こせなかったイノベーションを起こした企業としてよく例に上がります。

分かりやすいのでiPhoneを例にとると、これはビジネスモデル的、デザイン的イノベーションだと思われます。
技術的に難しいかと言われれば、野球選手がサッカー選手に転向するほどの難しさはなさそうです。

日本メーカーで言えばSHARPのZaurusや、ガラケーを少しビジネスモデル的、デザイン的にイノベーション起こせれば良かったかもしれません。

今、ユニコーンとしてもてはやされている企業群、Uberやメルカリなども、決して高度な技術的革新を起こしているわけではなさそうです。

むしろ、全てのスマートフォンに必要となる基盤に使われる銅板を5ミクロン以下に圧延するイノベーションを起こしている日本メーカーの技術がなければスマートフォンの小型化はできなかったかもしれません。

他にも日本メーカーのイノベーションが詰まった製品がスマートフォンだとすると、不足しているイノベーション力はビジネスモデル的、デザイン的イノベーションだと言えそうです。

そう考えると、やっぱりプロ野球選手がプロサッカー選手に転向するほどのイノベーションというわけではなさそうです。

鍛えられる能力、例えばデザイン思考のような力が必要なのだとすれば、その育成プロセスを世代関係なく実行することの方が前向きなのかもしれません。

考えてみると、実は、問題は雇用形態にあるのではなく、企業が育成のスイッチをどこに入れるのか、ということの方が重要で、既に育ちつつある技術をリデザインしてビジネス化していくことを目指す人を増やす動きが必要なのだと思えてきました。

冨山さんは経営者しか両利きの経営を実現することはできないと発信しています。過去成功してきた事業でも、ポートフォリオを見直し、変革を起こす際には売却したり撤退縮小をする必要があると仰っています。

これは、その通りなのだろうと思います。

経営者が判断し、企業は変革に向かって舵を切る。その際に、社員の育成の方向性も変わります。日本企業は既にイノベーション人材の育成に舵を切り始めているように思えます。これから自社の技術や事業をリデザインする動きが経営者からだけではなく、現場から出てくる可能性もあります。

そして、そのリデザインをするということが興味深く楽しいと思える仕事であれば、それを長くやり続け熟達することができます。
個人が他者に貢献できるリデザインを自らの能動的な意志でやり続け、その対価を得ることで生活していく。

元より、日本人は変化を柔軟に受け入れ、生き延びてきました。明治維新、太平洋戦争後も外部から取り入れるべきものを取り入れ、変革に対応し続けてきました。その柔軟性は安宅和人さんもシン・ニホンの中で触れていますが、今回も柔軟に対応するべき時が来ています。

でも、おそらく、それはプロ野球選手がサッカー選手になるほど大変ではないというのが今回の結論です。

一方で、この変化はよりよい社会に変革していく大きなきっかけとなるタイミングでもあります。

企業は、資本の論理だけではない個人の貢献意欲を生かし、組織でないとできない大きな仕事を産み出し続ける。

社会が成熟していく過程の中で、法人の目的と個人の貢献意欲が一致したときに、よりよい社会が訪れるはず。

これまで資本主義のルールの中で、規模の論理、利益の追求に追われてきた企業が、個人の貢献意欲を踏まえた育成プロセスを構築していくことになれば、世界が変わっていくと思うんですよね。

ジョブ型か?メンバーシップ型か?という議論は、実は本質ではなく、優秀な個人をどのようにイノベーション人材へと育成するか、そのために企業は何ができるのか?ということが本質だとすれば、雇用形態自体は今のままでも大して問題はなく、むしろ、個人の貢献意欲を生かせるこれまでの雇用形態はメリットでもあるのではないかと思います。

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