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ピアノ作品の200年を巡って①バッハ《パルティータ第1番BWV825》

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685−1750)は、鍵盤楽器のためのパルティータを6曲残しています。
「パルティータ」というのは、17〜18世紀に用いられた器楽曲のジャンルの1つで、もともとはイタリア語です。17世紀のパルティータは、いわゆる「変奏曲」と同じ意味で用いられていました。
ある主題をもとに、リズムや拍子を変化させたり、装飾を加えたりしてアレンジしていく形式です。

変奏曲自体は、モーツァルトのきらきら星変奏曲や、シューマンのアベッグ変奏曲など、18世紀以降の作曲家も好んで作曲していますが、「パルティータ」の持つ意味は、少しずつ変わっていきました。
と言っても、明確な定義が存在するわけではなく、作曲家によって自由に扱われたジャンルということができます。共通しているのは、「組曲」であるということで、バッハのパルティータもその例に漏れません。

バッハが残したパルティータには、もうひとつ重要な特徴があります。それは舞曲を用いた組曲であるということです。「アルマンド - クーラント - サラバンド - ジーグ」という当時の定型に則っています。

作曲家が舞曲のリズムを利用して音楽作品を作ることは、珍しいことではありません。ショパンの「ワルツ」や、ラヴェルの「ボレロ」も、もともとは舞曲の名前です。
ただ、必ずしも実際に踊ることを考えて作曲されているわけではありません。たとえばショパンの子犬のワルツは、実際にワルツを踊るにはテンポが速すぎます。
「作曲家がどの程度、舞曲本来の特徴を意識していたか」というのは、厳密にはよく分かりませんが、バッハのパルティータにおいては、舞曲そのものの特徴はかなり薄れていると言って良いと思います。

1726に完成したパルティータ第1番ですが、実はバッハの作品の中で最初に出版された曲だそうで、作品1と言われることもあります。
全体として明るく、軽快で、屈託のない曲想で書かれており、パルティータという言葉の産地である、イタリアの音楽が連想されます。

ちなみにこの曲の最後には、演奏する際に両手を交差する部分がありますが、バッハの作品の中では初めて用いられた奏法です。そして、この奏法を最初に使ったのは、バッハと同い年のイタリア出身の作曲家、ドメニコ・スカルラッティだと言われています。このことに関しても、もしかしたらバッハはイタリア風を意識していたのかもしれません。

次回はモーツァルトのロンドイ短調K511について投稿します。7月9日(土)公開予定です。お楽しみに。

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